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銕仙会定期公演

観世能楽堂で銕仙会6月定期公演を観る
能「清経 替えの型」狂言「伊文字」能「国栖 白頭 天地之声」

能を観るたびに、能楽堂という存在は大地に刺さっているピンだという印象を持つ
あるいは経絡を踏まえた鍼だろうか
能という存在を大地に刺すことで、土地が、地域が、人々がピリッとする、健康になる

清経は平家物語の登場人物である平清経をシテとする
平清経は合戦のなかで戦果をあげた人物というより、敗色濃厚になった源平の戦いのなかで、前途に希望を失い、自ら死を選んだ人物として描かれている。

いわば個人を生きた人と考えることもできる。平家没落の象徴として把握することも可能だろうが、それらは、宗盛、知盛、教経らに代表されそうだ

源平の戦いという大文字の物語のなかで、その大文字の物語に飲み込まれながら、あるいは傍の話として脇に置かれながら、清経という個人の、小文字の物語がそこにある

世阿弥は小文字の物語もだいじにした作者、演出家、演者だったのではないか
この清経という小文字の物語は、現在の感情を生きるツレ清経妻の存在で、編み上げられる

清経妻は夫の死に慟哭し、しかし形見の鬢を受け取ろうとはしない
彼女は決定的に現在の悲哀を生きようとする、その一方で清経は、清経の亡霊は、亡霊である以上当然に過去に生きる、過去を引きずって現出する

舞台では清経妻であるツレは、ほとんどの時間、脇座あたりから脇正面をまっすぐ見て、所作をするシテ清経を見ていない
しかし、ごく稀に、清経と清経妻が目を交わす時がある、そこに流れる交感には見者の背中に僅かな戦慄を与える

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