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都をどりと京おどり

五花街のうち、祇園甲部の都をどりと、宮川町の京おどりを梯子で観覧。
都をどりは祇園甲部歌舞練場、京おどりは宮川町歌舞練場が建て替え工事中のために京都芸術大学内の京都芸術劇場春秋座での開催だった。

同じ花街の春のをどり(おどり)でも、これだけ違いますよ、というとても対照的な公演だった。

都をどりは知名度も高く、外国人客が目立つ印象。井上流のきっちりした伝統が活かされていて、安心して見ていられる。
舞い手の芸舞妓はほとんど表情を崩さず、笑顔で媚びることもない。視線も宙にあり、それが都をどりらしさを醸している。
芸舞妓の人数も多いのか、総をどりも迫力があった。

一方の京おどりには外国人客はそれほどいなかったように思う。春秋座は京都北部で中心からはやや遠く、交通の便もそこまではよくないこともあるだろう。
しかし、京都芸術大学とのコラボもあってか、明らかに若い観客が多く賑わっていた。

京おどりは、先に述べた大学連携もあってか、アニメが冒頭に映されたり、タイムトラベルなどがモチーフになっていたりで、とても斬新。
祇園甲部に比べれば、やや表情は和らいでいるように見える。

総おどりは、都をどりが芸舞妓の序列がしっかりしているような印象に比べ、舞妓が前、芸妓が後ろという形もあり、自由な雰囲気。
ただし、このあたりは、十分には比べられていないかもしれない。

お土産も都をどりの伝統に比べて京おどりの斬新は同様。一人ひとりの芸舞妓をマンガ化した缶バッジなども売っていたりで、とても面白かった。

ここまで都をどりと京おどりを対比的に述べてきたが、いずれも京文化というものの表現だろう。
日本の文化を観光的に京文化だけで表現することは些か課題もある。
しかし、こうした文化も備えているものとして、日本の文化を表現していくことは重要だろう。

芸舞妓を単なる接待女性と見る者がいるが、都をどりで1か月、京おどりで半月もの、しかも日に複数回の公演ができるだけの稽古を考えるなら、その「接待」の意味を再構築することが必要になる。

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