サントリー美術館で織田有楽斎の展覧会。
「逃げの有楽」と言われる織田長益。その名前を再検討することを意図した展覧会だが。

ちょうど、この展覧会に向かう前に、エディラボというグループで議論していた「負けとは何か」、その相対化、時間による見直し、にとても関わる展覧会になっていた。

逃げの有楽はやはり逃げの有楽でしかないだろう。少なくともその時点では。
それまで、そして、それからの調停能力は、逃げの有楽という提起としっかりと重なる部分がある。

その上で、有楽斎は何から逃げたのか、もまた問われるべきだろう。
逃げていない、のではなく逃げた。しかし、そこに「逃げる」意味があった。

そして、有楽斎が本能寺の変の際に死んでいれば、如庵という茶室は生まれなかった。
茶という芸術に有楽斎ならではの光を与えることもなかった。

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