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真夜中のダンディ

人は生きて来たようにしか生きていけない。

田辺聖子さんと永六輔さんの対談の中に、そんなひと言が出て来てなるほどなってなった。
50近くになって、よく思うのは「カネもってないなぁ」ということ。
20代の頃、50くらいのおっさんといえば、それはもうホンマにオッサンで、手足は細く腹は出っ張っていて、なんか臭そうくらいのイメージだった。
ただ、カネはそこそこ持ってるんだろうって思っていた。
桑田佳祐の「真夜中のダンディ」の歌詞でも「暗い女の部屋でマヌケな肌を晒し〜」から始まり「〜背広の中にカネが溢れてた」とくれば、きっとそうなんだろうなと思っていた。

ところが現在、自分が真夜中のダンディ世代になってみるとどうも勝手が違っている。
習慣となっている筋トレのお陰で、マヌケな肌は晒さずに済んでいるが、カネが溢れる気配は全く無い。
あいかわらず3交代で夜勤ばっかりやってるから「真夜中のダンディ」であることは間違いないんだけど。

で、冒頭のひと言。
これまで生きて来たようにしか生きられないのだとしたら、ボクの背広の中にカネが溢れることはまず期待できないってことだ。
なるほど、多分そうなんだろう。それは確信できてしまう。したくはないけども。

こういう時少し前のボクなら、「いやいや、このままではダメだろう、まだまだやれるはず。がんばらねば!」って方向に考えが向いていた。ある種、強迫観念のように。
そして、一時はドーパミンが出てハイになり、なにかしらしようとするんだけど結局続かない。で、もとの状態にもどる。
そしてまた何かのきっかけで強迫観念にとらわれて、何か新しいことをやらないといけない様な気持ちになる。

ってここまで書いてきて、強迫観念にやられていたんだって気付いた。なるほど、強迫観念だったか。

満たされないモノを、どうにかして満たさないと幸せになれないのではないかという焦り。

でも、よくよく考えてみると、十分満たされていることもたくさんある訳で。
奥さんとの仲もいい(と思う)し子供たちも健康で、元気に学校へ行ってくれている。
両親も健在で、金銭的に心配させられることもない。
近所でサーフィンもできるし、有休もとれる。
連絡すればいつでも飲みに行ける友達もいる。
十分しあわせじゃないか。

これまでのサラリーマン生活を急に変えてしまうことはできないけど、強迫観念が来た時の対処法は変えられそうだ。

満たされてないモノをどうにかしたいと思った時には、まず深呼吸。ドーパミンはいらない。
ハイな状態でやり始めてもろくな事がないからね。

気軽に始めて、長く続ける。ボチボチと粘り強く。そして自分には甘く。

人は生きてきたようにしか生きていけないとするなら、自分に甘く生きて来たボクは、自分に厳しくは生きられないだろうから。

真夜中のダンディー、ダンディー、
俺は生きている〜♪

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