見出し画像

escalator

長い長いエスカレーターに乗っている。乗り始めたときのことはもう覚えていないけれど、何回も身体を翻し、乗り継いできたことは確かだ。
その動作はまるで思い立っては引き返す瞬間のそれだ、忘れ物を取りに帰るように。言いそびれたことを渡すために。改札を抜けてから手を振るように。その動作をトリガーにして、海馬ではなく肉体に保持されていた記憶が、擦り切れるほどプレイバックを繰り返す。けれど現在地点だけは絶えずゆるやかに上昇し続ける。気付かれるまで気付かれないゆるやかさで、上昇をやめない。
やがて上りきって、最上階に着く。エスカレーターに乗っていた間、半身を眩しく包む光を差し込ませていた大きな窓はもうそこにはなく、なにもなくてだだっぴろいだけの、薄暗い空間がそこにある。
そしてふと、振り返って気付く。下りのエスカレーターが、そしてそれに代わりそうな下降手段がひとつも見当たらないこと。あたりを見回すけれど、埃ひとつなく無機質な白い床には発射されたクラッカーと、かつてクラッカーの中身だったゴミが落ちているだけ。途端に、手が汗ばんでいることに気付く。平衡感覚が失われていることに気付く。気付いたことに気付いて、それ以上をやめる。その場にへたり込む。床が途切れているところまでを這って進む。おそるおそる下を覗き込もうとして、
そこで目が醒める。

いつだったかも忘れたけれど、そういう教訓も救済もなにもない夢を見たことをずっと憶えている。あのエスカレーターはいったいなにで、なぜエスカレーターを上がっていたんだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?