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それでも手首は曲がっている

インストラクター活動を初めて10年。

振り返るといろいろ力不足だったところがある。

開門弟子は教える側に熱意があるから良いって言うけど、やっぱ未熟よね。

一番、しくじったと悔やんでるのは距離感の問題。

植芝翁はこう言った「私には弟子はおらん。仲間ならたくさんおる」

ヴラディミア・ヴァシリエフもミカエルに対してかしこまった師匠としてではなく、リスペクトする友人として接していると言っていた。

だから権威や師匠然とした態度はよろしくなく、親しくフレンドリーな立場が良いのかと思っていた。それでこまめに一緒に飲みに行ったり、試行錯誤する姿、学ぶ態度を共有して、「みんな一緒に学んでいこう」という在り方でやってきたのだけど、かなりしくじったと感じている。

だって手首が曲がってるのだもの。

ストライクの時、手首が曲がってる。背骨も曲がってる。肩も上がってる。

それでもシステマができていると自分では思っている。いっぱしにシステマを語ってしまっている。でも、現実として手首が曲がっている。

そんな人を量産してしまった責任を感じている。

2006年4月、僕が最初にトロント本部に行った時、ヴラッドが繰り返し僕にアドバイスしたのが「手首を真っ直ぐ」「常に体重は片足に乗せる」。この2つ。

その2つは僕のシステマの原点となって、今でも徹底している。

でも、その2つすらまともに伝わっていない。手首が曲がって、両足が居着いている。それでいて目新しいことを学ぼうとしている。猛省だ。

これはひとえに僕が距離感をしくじったせいだ。距離感をしくじり、人間味や弱さを見せたことで、ナメられたせいだ。相手の個性や成長速度などなどを尊重しすぎて、ナメられたせいだ。

僕がナメられると、僕が得た知恵までもが一緒くたにナメられる。

これはいたたまれない。非常にいたたまれない。

その一方で、僕の意図をくんで寡黙についてきてくれる人もいるのも事実。とてもありがたいことだ。むしろこっちがサイレントマジョリティであることを願う。

どれだけ声高に発信しても、偉そうな態度をとっても、リスペクトされていても。ストライクをする時、その手首は曲がっている。それが現実なのだ。

インターナルだのなんだの凝ったことやる前に、まずやるべきことは手首を真っ直ぐにすること。固めるのではなく、骨をまっすぐ並べること。そうやって構造的強度を備えた前腕にすること。

繰り返し耳にしたありきたりで超基本的な教えがスルーされ、目新しい枝葉の教えが重宝される。どこでもある現象なのだろう。

それでも手首は曲がっている。

手首が曲がってたらストライクもナイフも何もへったくれもない。根本的にダメ。

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