重たい引っかき傷
とてもお世話になっていた人が、ある時ふと姿を消した。
その少し前に疎遠になっていた頃だったのだけど、とても世話になっていただけに気になった。
そのお世話になった人の師匠筋が言っていたという言葉を、風の噂で聞いた。
「人を導くということの重さに気づいたんだろうね」
その重さから逃げたのか、あるいは重さに耐えうるよう修行に出たのかは分からない。
とても気になったので、数年ぶりに連絡をとってみた。
するとしばらくしてから返事が来て、会うことになった。
久々に会うと、とても元気そうでほっとした。僕が聞いたように、「人を導く重さ」がきっかけだったのかどうかは分からない。
ただ自分なりの修行を積んでいたのは間違いなかった。
僕はそこまで重さを感じているのだろうか。
先程の言葉は、僕の中でずっと引っかかっている。
触れた途端に、姿を消したくなるほどの重さ。
人を導くということに、そのくらいの重さを感じているのか。
どうしても僕はインストラクターという都合上、人前に立つしシステマを指導する。それは人から時間をお金を託されて、その人の人生に爪痕を残すということだ。それは人生を変えるということでもある。
この重大さと深刻さを痛感できているか。
その点についてはまだまだな気がするのだけど、「人を導くのはとてつもなく重いこと」という思いはずーんと錨のように僕の中に沈み込んでしまった。「絶対に変なことを教えたくない」と思ってしまうのは、このことと大きく関係しているのは間違いない。
だからシステマに関してはミカエル原理主義者だし、ミカエルの言っていることでよく分からないことは、各種の資料をあたって調べるようにしている。
それはやっぱり、人の人生に爪痕を残す重さがとても怖いから。
僕が変なことを教えてしまったせいで、その人が死んじゃうってこともありえなくはないのだ。
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