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理系でよかった
僕は理工学部卒なのだけど、卒業した瞬間から理系分野から離れてしまった。
なので専攻分野を活かした仕事についているわけではまったくなくて。
ってか大学の学部とか専攻って高校生の時に決めなくてはいけないわけでしょう。将来を大きく左右する選択を、そんな世間知らずにさせて良いものかどうか。そもそも疑問だ。世の中を全く知らない人間に、世の中を渡っていく武器を選ばせるのだから。これはまあ社会の仕組みとして仕方ないので、自分の子どもにはなるべく広い世界を見せることにしている。自分は何をしたいのか、自分には何ができるのか。そういう選択肢が広がるように。
僕はというと本当になんとなく漠然とした理由で理工学部を選んでしまった。単純に「理科の授業が好きだから」というくらいの理由だ。もうちょっと社会を知ってたら経済学とか文学部とか選んでたと思う。
でもまあ4年生で1年がかりで論文を書いたのはとても良かった。
しょぼい論文を一本、共同で書いただけなのだけどあの経験を通じて、理系思考とはなんたるか、ということを学んだ気がする。
仮説を立て、検証し、仮説の誤差を修正する。あるいは新たな仮説を立てる
この繰り返し。
僕の稽古やトレーニングもまさにそう。だからどうしてもロジカルになる。
その代わり感性や感情に任せて、目的合理性とか無視して目先のことに取り組める神経は失ってしまった。だからいわゆる文系や芸術系の人たちのロジックを無視した振る舞いは、僕にはあまり理解できないし、共感できない。芸術もそう。感性と勢いに任せたものよりも、理性によって隅々まで作り込まれたものに共感する。なぜなら再現性に美を感じるからだ。
再現とは増殖であり、自己増殖は生命の定義でもある。
ただロジカルになりすぎると文章が書けなくなる。全く破綻のない表現は面白くないからだ。だからこういう書き散らかす練習が必要になる。
そして論理的に破綻しているように思える思考にも、視座を変えれば自分のものとは別の調和が保たれていることがある。
だから理解できないものへのリスペクトは、心のどこかでキープしておかないといけないと思う。
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