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祈りの心身技法・続

心身技法は祈りである。

武術、宗教、舞踏において。

では祈りとはなんなのか。

祈願から「願」をのぞいた「祈」とは。

高瀬譜希子さんの踊りを動画で見てから、どういうわけかそんなことばかり考えている。

トム・ヨークと高瀬譜希子さんがコラボしたPV。

踊りとはなんなのか。もし表現だとしたら何かを伝えるのだとしたら、それは対話ということになる。

もし祈りも何らかの存在との対話なのだとしたら。

その存在に声を届けることがその目的なのだろうか。

いや、「話し上手は聞き上手」という慣用句にあるように、話してばかりの人は結局、何も得られない。沈黙より価値ある声を自らの声でかき消してしまうからだ。それは主張であり、対話ではない。祈願の「願」がそれだろう。

では、祈りを対話と考えればどんな行為に相当するのか。

それはおそらく「聞く」ことだ。

聞き、そして答える。

だからまず最初に「聞く」が来る。

存在からの声を受け入れること。聞き入れること。

聞き届けること。

その声はすでに届いている。耳から入り、皮膚をゆすり、骨を振動させ、脳で電気信号を生じさせている。でもそれはあまりにも微弱だ。

すでにあるその音を聞き取ること。それには自分を静かに、静かに鎮めることしかない。生々しい生が生み出す、一切の静寂。そうしてようやく聞こえてくる声とはどんなものか。

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