初めてミカエルに会った時
サミット・オブ・マスターズ
写真は左からビクター・ロコンティ、私、ミカエル、アヤ、ミカエルの娘のアンナ。
ビクターはシステマ大阪の創設者だ。大西さんは当時イギリスにいて、日本に帰国後にアメリカに戻るビクターと入れ替わる形でシステマ大阪を引き継いだ。
写真は2006年のサミット・オブ・マスターズでのことだ。
ミカエルがトロントに来るというので、ヴラッド、ミカエル、コンスタンチンが講師を務める野外セミナーに参加した。
確かこの時は郊外の大学の敷地を使って行われて、後にも先にもこの会場が使われたのはこの時限りだったと思う。
まだシステマを初めて1年もしない頃で右も左もわからないながら、システマジャパンのスコットとアンデイが「こんな機会はめったに無い!」と一押ししたこともあって、アヤと参加した。
まじでお金がなかった
この時点でトロント行きは二度目。
同年の4月にもトロントに3週間ほど滞在して、システマ本部とエマニュエル・マノラカキスの主催する「ファイト・クラブ」に通い詰めた。この時、何かと面倒を見てくれたスコット・コナーというインストラクターが、「絶対にキャンプには参加したほうが良い。なぜならミカエルが『巨大なジャンプ』をさせてくれるからだ」とイチオシしていたことも大きかった。
当時はシステマに専念するために仕事をやめたばかりで、ライターとしての仕事なんて全然まわってなかった。在職期間が短かったから退職金や失業手当も雀の涙ほどで、それでもシステマに専念するためにバイトとか一切やらないと心に決めていたものだから、本当にお金がなかった。通帳の残高が刻々と0に近づく恐怖感は、いまでもトラウマになっている。あれには本当にメンタルを鍛えられた。
それでもスコットとアンディが薦めたこと、スコット・コナーが「巨大なジャンプが起こる」と言ったこと、そして何よりアヤが乗り気だったので、キャンプへの参加を決めた。
泊まりは旧本部
お金がないのだから移動は電車とバスだ。
タクシーで移動する余裕なんてない。幸いにして前回、一人でトロントに行ったときに道順は覚えていたので、スムーズにアヤを連れて本部に到着できた。
ホテル代も節約するため、トロント本部に宿泊。アヤと寝袋を持っていって雑魚寝した。似たように節約するために本部で寝起きしていた参加者は結構いて、システマNYのエドガーやシステマニューカルのエド・ワーレンらと知り合ったのも、この本部でのことだ。
キャンプ会場には翌朝、本部からの送迎バスで向かった。
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