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10歩歩け

動いて命を助けるならそれは本能の反応。

硬直して命を危険にさらすならそれは恐怖心の悪しき影響。

「危険な時に咄嗟に出る動きで、恐怖心によるものと本能によるものは何がどう違うのですか?」

そう尋ねた時に、ミカエルはそう端的に答えた。

システマのコンセプトはサバイブ。動ければ動けるほどサバイブの可能性が増し、硬直し動きが失われるほどサバイブの可能性は減っていく。

なんだそんな当たり前のこと。なんとなく今までそんな風に受け止めていたのだけど、今回はやたらと深く突き刺さった。

ある電車で母子連れを酔っ払いから守った時。

その酔っぱらいは千鳥足のどうしようもない泥酔状態で唐突に二人に絡んだ。驚いた母親は子どもをぎゅっと抱きしめてただただ硬直するばかり。それでもなお酔っぱらいが絡み続けるのでので、僕が酔っ払いに色々話しかけたりして相手をして気をそらしてみた。

酔っぱらいの意識は僕に移ったのだけど、まだまだ興味は子どもの方にあるようだ。同じ年頃の息子か孫でもいるのだろうか。

僕が辛うじて時間を稼いでいる間に、隣の車両にでも移ってくれればいいのにその母親は子どもをギュッと抱きしめたまま動こうとしない。ものの見事に動かない。おれが身を挺して守ってるこの時間をムダにするんじゃない。むしろ酔っぱらいよりも母親を叱り飛ばしたくなったくらいだ。

立ち上がってせめて10歩歩いてくれ。そうしたら車両が変わるし、千鳥足の酔っぱらいも歩けないから。でもその10歩が歩けない。なんの障害物もないのに、歩けない。なんで立ってその程度の距離を歩けないのだろう。当時の僕は全く理解できなかったのだ。

そんな出来事を、ミカエルと話したあとに思い出した。

おそらくミカエルはそうやってほんの10歩歩くことができず、命を落とした人を無数に見てきたのだろう。それは軍人かも知れないし、民間人かも知れない。ただミカエルが所属した部隊が、ミカエルが在籍したであろう時期に何をしていたかを検索してみると、かなりハードな状況であったことは想像に難くない。

その中で、「ほんの10歩」を歩けずに命を落とした人が無数にいたのではないだろうか。

だから「動け」とミカエルは言う。

僕がシステマに惹かれるのは、単に武術的、身体技法的に優れているからではない。

戦場という苛烈な環境をくぐり抜けて得た結論が「リラックス」であり、「呼吸法」であることに、他にはない魅力を感じたからだ。それが数多の生死をくぐり抜けた者の結論であることを面白く感じたからだ。

僕は骨の髄からシビリアンであり、生まれ変わるまで軍人にはなれない。

軍隊格闘術とやらを極めるためにゲリラ隊やら外人部隊やらに飛び込むようなことは、そもそも年齢的になれない。だからどれだけ軍人を目指しても軍人にはなれず、いいとこミリオタかコスプレ止まりだ。

そんな一般ピーポーであるシビリアンがシステマをやる意味があるのか。

一時期、さんざん悩んだのだけどその末にある結論に達した。

シビリアンによるシビリアンのためのシステマ。それは僕にしかできない。それも全人口比でいうなら、軍人よりシビリアンのほうがはるかに多い。この巨大な巨大なパイにどれだけシステマトッピングを追加できるか。そしてミカエル達が戦場から持ち帰った智慧を、戦場を知らない僕たちがどうやったら受け取ることができるのだろうか。

それはシビリアンにしかできないチャレンジだ。軍人にはできない。そして世の中へのインパクトも大きい。だったらやりがいもあるというものだ。

ただシビリアンの弱点はやはり警戒心に欠けるということである。

そして万が一の時にすくみあがってしまうということだ。それは僕にだって当然起こり得る。

だから呼吸をする。そして10歩歩く。そうやって場所を変える。それだけでやり過ごせることって、結構あるはずなのだ。

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