あんことおはぎ
インターナルとか言うけど、それはエクスターナルの対義語。
表と裏のどちらかだけが存在するというのはありえない。
皮だけの大福もあんこだけの大福も成立しない。
皮のないあんこの塊がぼとって置いてあったらどうか。
それは大福として成立するか否か。いや、しないだろう。
でも見た目はおはぎっぽいからおはぎと思って食べるかも知れない。
おはぎは中にモチがあってこそのおはぎ。
もし中にモチがなく、あんこだけだったとしたらけっこう残念だ。
別に温かくしてお茶碗に入れればぜんざいになるのに。ぜんざいと材料は変わらないのに、おはぎと思って食べるとなんだか残念。不思議なものだ。
さらに不思議なのはおはぎと大福の関係だ。
大福はあんをモチで包んだもの、おはぎはあんでモチを包んだもの。
包むものと包まれるものが逆転している。裏返っている。
他にこんな例はあるだろうか。肉まんを裏返して、ひき肉でパンを包んでみたらどうだろう。なんだかよくわからないし、ハンバーグ的な肉の塊だと思って食べてったら中からパンが出てきたら、かなり騙された気分がしそうだ。
アップルパイもそうだ。りんごでパイ生地を包んでみたらどうか。どんな料理か想像つかない。
しかし大福とおはぎはこういう裏返りが許容される。
しかも僕に至ってはおはぎのほうが大福より好き、という甲乙まで決まっている。それこそ胃に入れば同じなのに。
不思議なものだ。
まさにインターナルワークとエクスターナルワークのようなもの。両者は本来不可分で、どちらが外で、どちらが内という区別もない。
その全て、それが存在する全てを含めた全てがシステムなのだ。
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