ハロプロのマネージャーについて考える【中編】

昨年12月に加賀楓がモーニング娘。を卒業するのに際して、ハロプロ研修生の同期でもあった牧野真莉愛のラジオ番組「まりあん♥LOVEりんですっ♥」に、同じく同期だった一岡怜奈、岸本ゆめのと共にゲスト出演し様々な思い出トークに花を咲かせた。
その中で、一岡がレッスンの先生に「帰れ」と言われて本当に帰ったという話があった。

「帰れ」と言われても「やらせて下さい」と言わせる、というのは“昔からよくある日本の体育会的風景”だ。
一岡も今でこそ「あそこは『いや、やらせて下さい』と言うべき所だった」と理解しているが、これは同期達もBEYOOOOONDSのメンバーも驚くほどの天然だからというよりは、当時は中学生くらいだったろうからまだまだ世の中を知らず言葉を額面通り受け取っても仕方ない。
近年では、20代の社会人でも「帰れ」と言われ本当に帰る例があると聞く。

こういう体育会的体質ゆえの、ブラックな仕打ちをしたマネージャーがいる。

2015年秋、鞘師里保が突然モーニング娘。からの卒業を発表した。
この年夏には体調不調により数日休養していたほか、秋ツアー序盤には九州へ行く飛行機に乗り遅れた(自腹で後の便に乗った)という出来事もあり、どこかおかしい雰囲気を醸し出していた矢先だった。
モーニング娘。やハロプロのファンであるのを公言していたマツコ・デラックスは地上波全国ネットで「あの子をあんな辞めさせ方しかできないあの事務所は×××」と自主規制音が用いられるような暴言を吐き散らすほどだった。
約2ヶ月でバタバタと卒業することになったその最終盤、明石家さんまらと共演するラジオ「ヤングタウン土曜日」にて、リスナーから「モーニング娘。になってから一番心が折れそうになったときを教えて下さい」という質問が寄せられたのに対して鞘師は、12歳でグループに入って間もないころの体験を語った。

広島から上京し、故郷を恋しく思っていた時に、マネージャーに「地元に帰っていいよ」と言われて休みをもらった。
しかしその休み中に、マネージャーから「あなたに帰る権利はあるの?」というメールをもらったという。一体何がいけなかったのか。鞘師はこう推測した。

「『帰っていいよ』と言われて『わかりましたー!やったー!』とノコノコ帰ったのがいけなかった。多分、『いえ、私は東京に残って練習します』って言わなきゃいけなかった」

つまり休みの提案を一回断って仕事へのやる気を見せ、その上でマネージャーに「いや、帰って休んでいいよ」と許可を貰うのがベストだったというのだ。
マネージャーからのきついメールのせいで帰省先でもビクビクしており、「せっかくの家族の時間を楽しく過ごせませんでした」と振り返っている。
さらに、このとき9期メンバー4人が同時にそれぞれの地元に帰省したが、他の3人も同じ内容のメールを受け取っていた。「現場でも怒られ、家に帰っても怒られるんだ」と思ったと振り返る。当時はかなり堪えたようだ。

プロとしての自覚があるんだったら実家に帰る時間を惜しんで練習しろということなのだろうが、それを12歳が言われなくても分かれというのが無理である。新卒社会人でも研修受ける前にまずそういう行動をできるわけがない。
百歩譲って、マネージャーは「休みあげるよ」でダンスとか歌の先生が「帰る権利ある?」だろう。子供が一人の大人にそんなこと言われても意地悪にしか聞こえない。アメとムチの使い方が絶望的におかしい。

このマネージャー氏がどなたなのかはハッキリしていないが、9期メンバーへの当たりが強かったという点では思い当たる人物がいる。

I氏

いわゆる“プラチナ期”が終わった直後から鈴木香音の卒業までという約6年半、モーニング娘。を担当し続けた。もちろん最初は現場付きマネージャーで、後年チーフになった。
9期には当たりが強かった一方で、10期メンバー(特に工藤遥)は寵愛していたという、自分のお気に入りとそうでない人との扱いの差が露骨だった。
道重さゆみが卒業すると、自分よりも古株な人間はいなくなった。I氏を制せる人がいなくなった。この時期に加入した12期については、特に尾形と野中に当たりが強かった。この頃に尾形春水が激痩せし、メンバーが心配する声さえもライバル心ゆえの罠だと思い込んでいたのは、I氏からの扱われ方も一因であったように思う。
鞘師が不調に陥ったり、鈴木香音が(外見的にも)安定しなかったりしたのもI氏にも少なからずの原因があったと感じる。

ただ、SNS等の発信には熱心だった。そういう点を買われてか、「大器晩成」から「次々続々」にかけて勢いには乗っていたが、発信という点がやや弱かったアンジュルムの担当に異動した。

ところが、異動後もI氏は長年担当した娘。に未練タラタラな様を隠さず、それまでのアンジュルムの勢いを、娘。との対立軸を作り上げる事で自分も娘。に関わり続ける事に利用した。
かつて乃木坂46が結成された時、AKB48の“公式ライバル”であると喧伝した。しかしそのような事はする素振りもなく。
竹内朱莉を唆して「モー娘。を倒します!」というなんとも分かりづらく大いに誤解を生むだけのライバル宣言をさせ、過激派の娘。ヲタに反発心を芽生えさせた。
クリスマスのファンクラブイベントというなんともクローズドな場で、ゲーム対抗をメインにした娘。とアンジュの合同イベントを行った。FCイベントは通常のコンサートよりもキャパの小さい会場なのに、合同であるゆえチケットの倍率がより高まったという点でも不評だった。
「アイドル生合戦 国盗り天下統一編」では、娘。とアンジュをそれぞれ2チームに分けた全4チームで争ったが、どちらかが勝てばそれでアンジュルムのPRになると協力もし合っていたアンジュ側と、あくまでチームごとの戦いだとしていた娘。側との認識の違いもあって若干の後味の悪さを残した結末だった。

アンジュルムというグループ単体でも売り出して、娘。との争いもさせるのだったらまだ良いのだが、I氏はアンジュルム自体には力を入れなかった。
2016年後半はライブハウス公演のみ、2017年春は急な日本武道館公演を安請け合うなど、なおざりな姿勢は明らかだった。
(17春のツアーは、正面から見ないと何だかよくわからない幕を使った演出があったのだが、様々な方角から見られる武道館でやることを最初から想定していたとは思えない。また、FC先行からほとんど間を置かず各種先行も行わないままチケットが一般発売されるという慌ただしさだった)
このような状態では当然のように次々続々までの勢いは失速、相川茉穂を欠くというアクシデントもあり、和田彩花が後に語った「独立する事も考えた」のはこの頃である。
I氏は17年初夏、わずか1年でアンジュ担当から外れた。それだけでなく、マネージャー業から他業務への異動にまでなった。

なお、I氏アンジュ時代ほぼ唯一の功績といっていいのは、佐々木莉佳子や上國料萌衣をモデルとして売り出し始めたことである。まぁ、“お気に入り”だったのだろう。
今やメディアに多々出演する上國料が「アンジュルムで大きな場に立ちたい」と常々言っているのは、この頃のアンバランスな扱いがあったからだと思う。

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