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【英日対訳】 #BangkaIslandMassacre 追悼 #バンカ島の虐殺 (#バンカ島事件) 「大戦で海岸での虐殺を免れた看護師は強姦という秘密に苛まれ続けていた」| @Y7NEWS (2019.4.24) #主戦場

[Last Updated: 2020.8.15]

概要

2019年4月18日、英BBCシドニー支局の記者が報じた内容が世界に衝撃を与えました。第二次世界大戦最中の1942年、旧蘭領インドネシアのバンカ島に漂着したオーストラリア陸軍の医療部隊「第13豪州総合病院」隊のうち女性看護師の一団を含む漂流者の集団が日本軍により虐殺されたという「バンカ島の虐殺」事件について新たな事実が判明したからです。

銃殺のため海岸線に連れていかれた女性看護隊員のうち、唯一生還した女性看護師(※東京裁判での証言時は"Lieutenant"=陸軍中尉)の生前の証言から、女性看護師ら22名のほとんとが、銃殺される前に強姦されていたことが判明しました。この唯一生還したヴィヴィアン・ブルウィンケル中佐 (Lt. Col. Vivian Bullwinkel) は生前、ニュースキャスターのテス・ローレンス (Tess Lawrence) 氏にこのことを語っていましたが、ローレンス自身により長年秘匿され公にされることがありませんでした。

[国立オーストラリア戦争記念館サイトの紹介ページ]

ところが、長きに渡る歴史研究の功績を讃えられオーストラリア勲章を授与された軍事史の研究者リネット・ラムゼイ・シルヴァー(Lynette Ramsey Silver) 氏は、ローレンス氏の発言の記録や、戦時性暴力被害者の伝記を執筆してきた俳優で伝記作家のバーバラ・エンジェル(Barbara Angell) 氏の法医学的な検証の内容を自ら発掘して事実を掘り下げ、独自に取材を続けその最終的な調査報告を今年4月に出版する書籍にまとめました。

2019年4月2日、『歴史探偵』(Historical Detective) の称号を持つシルヴァー氏の新著"Angels of Mercy: Far West and Far East" (『慈悲の天使たち~極西と極東編~(仮)』)が出版されました。これをきっかけに、オーストラリア国内ではメディア各社によりこの事実が報道され始めましたが、英BBCのシドニー支局が報じるまで世界的に知れ渡っていませんでした。

[出版されたシルヴァーさんの新著] ※電子版は現時点では未公開

その後、各社により後追い報道はありましたが、内容はBBCの報道をなぞるものばかりでした。そうして満を持して24日、西オーストラリア州の大手メディア「セブン・ウェスト・メディア」の報道局『7NEWS Australia』がYahoo News Australiaを介して独自の内容で報道を行いました。

以下は、その全訳です。尚、同局の報道内容固有の表現を強調するため、訳文では一部原文を併記しています。

その本編に入る前に、ブルウィンケル中佐を紹介しておきます。

経緯

国立オーストラリア戦争記念館 (Australian War Memorial) の公式記述によると、ブルウィンケル中佐(退役後は結婚してステイタム姓に改名)は1941年、25歳の時に豪州陸軍看護隊 (Australia Army Nursing Services, のちのRoyal Army Nursing Corps) に志願し、第13豪州総合病院 (2/13 Australian General Hospital) に配属されました。

翌1942年1月に同隊はシンガポールで任務を開始しますが、日本軍の侵攻で危機的状況にさらされ、同年2月12日、女子どもを含む民間人、患者、そして看護隊員66名が民間商船『ヴァイナー・ブルック』号(SS Vyner Brooke) に乗って避難することを余儀なくされます。しかしその二日後、船は撃沈され、ブルウィンケル中佐(当時は中尉)と看護師21名、大勢の男性、婦女子を含む集団は旧蘭領インドネシアのスマトラ東部に位置するバンカ島に漂着します。その翌日、百名ほどの英軍兵士が加わり集団はさらに膨れ上がりました。

この漂着した集団は、現地の日本軍に降伏するために代表者を立てて派遣します。その間、看護師、兵士、負傷者は避難先で医療活動を続けながら待機していたのですが、戻ってきた民間人が案内した日本軍兵士はまず男たちから処刑し、その後で、女性看護師たちを海岸線に連れていきました。日本兵たちは背後からの機銃掃射により女性看護師たち全員を処刑しようとし、22名が処刑されます。生存者は一人を除いて、すべて銃剣でとどめを刺されました。

この時、ブルウィンケル中佐も銃撃を受けましたが運よく致命傷とはならず、死んだふりをして日本兵をやり過ごしました。その後遭遇した一人の英国兵とともに12日間ジャングルを彷徨いますが、再び日本軍に降伏することを選択します。

捕虜として拘束された後、英国兵はまもなく死亡し、ブルウィンケル中佐は1945年に解放されるまで3年半を戦争捕虜として各収容所を転々として過ごします。その間、彼女は『ヴァイナーブルック』号の生存者たちと再会を果たし、虐殺があったことを伝えますが、彼女自身の安全のため、彼らは虐殺のことは二度と口にしないことを誓い、彼女を守ろうとします。

1946年12月、ブルウィンケル中佐は「中尉」として極東軍事裁判(東京裁判)に出廷し、証言します。これが、現存するバンカ島で起きた出来事に関する唯一の公式な法廷証言となっています。彼女は法廷で後に世に知られることになる「バンカ島の虐殺(Bangka Island Massacre)」(バンカ島事件)の実態を語りますが、犯行を行った部隊や個人が特定不能のため、記録のみが残され公判には至りませんでした。

ブルウィンケル中佐の証言は今もオーストラリア戦争記念館で公開(PDF)されています(ただし、東京裁判ではなく「豪州戦争犯罪調査委員会」(Australian War Crimes Board of Inquiry)でのもの)。日本では国立国会図書館所蔵の裁判記録(仮訳)がありますが、正規の記録はあくまで英語版です。この時、ブルウィンケル中佐は強姦のことは一切語りませんでした。

[豪州戦争犯罪調査委員会・証言記録(1945年10月21日)]

[国立国会図書館・極東軍事裁判速記録第136号(1946年12月20日)]

そうして全ての真実を語らないまま、ブルウィンケル中佐は翌年1947年に看護隊を除隊。民間人に戻って予備役として「市民軍」 (Civil Military Service) に登録。看護師の育成に残りの生涯を捧げました。晩年、2000年に84歳で亡くなるまで、大英帝国勲章やオーストラリア勲章を含む数々の栄誉を授かり、いまも「オーストラリアの英雄」として慕われ、「最も尊敬される看護師」としてオーストラリアの医療史にその名を残しています。

[2000年に英紙「テレグラフ」が発した訃報]

以下は、そんな敬愛される人物を長年苛んできた忌むべき記憶の報道です。

記事原文

記事全文

Aussie WWII nurse who survived beach massacre 'tortured' by rape secret
大戦で海岸での虐殺を免れた看護師は強姦という秘密に「苛まれ続けていた」

WARNING – DISTURBING CONTENT:

警告:不快な内容が含まれています。

In the 77 years since a group of Australian nurses were gunned down on a deserted Indonesian beach, their mass rape by the Japanese soldiers who then slaughtered them has been an ill-kept secret.

77年前にオーストラリア人看護師の集団がインドネシアの無人の海岸で射殺されたという事件で、日本軍が彼女らを殺戮する前に集団強姦(mass rape)していたという事実は、公然の秘密とされてきた。

Yet, the sexual assaults which preceded their deaths can’t be found on any official war records.

しかし、彼女らが殺害される前に性的暴行(sexual assaults)を受けていたという事実は、どの戦争記録にも記されていない。

A new book by military historian Lynette Silver, Angels of Mercy: Far West and Far East, brings together evidence and accounts surrounding the Bangka Island Massacre and hopes to set the record straight.

軍事史研究家のリネット・シルヴァーの新著『Angels of Mercy: Far West and Far East』 (仮題: 慈悲の天使たち~極西と極東編~) は、この「バンカ島の虐殺」(Bangka Island Massacre) 事件を巡る証拠や証言を集約し、史実を正そうとする。

The sole female survivor of the massacre was 27-year-old Vivian ‘Bully’ Bullwinkel.

女性で虐殺を生き延びたのは、当時27歳のヴィヴィアン・“ブリー”・ブルウィンケル (Vivian ‘Bully’ Bullwinkel) ただ一人だった。

The Bangka Island massacre was committed on February 16, 1942 by Imperial Japanese soldiers who, in addition to the 22 nurses, also executed 60 Australian and British soldiers and crew members – all of whom had just survived having their ships bombed by Japanese aircraft.

「バンカ島の虐殺」事件は1942年2月16日、旧日本帝国軍の手によって引き起こされた。日本軍の空襲により撃沈された民間船から命からがら島に辿りついた看護師22名に加え、豪州・英国軍兵士と船員あわせて60名が処刑(execute)された。

Once the survivors of the sunken ships made it to Bangka Island, east of Sumatra, the Imperial troops split the men from the women and executed them.

スマトラ東部のバンカ島に沈没船の生存者らが辿りつくと、日本軍は集団を男女で振り分け、処刑を行った。

Of the nurses, Ms Bullwinkel had been the only survivor.

殺害された看護師のうち、ブルウィンケルさんは唯一の生存者だった。

Like her fellow nurses, she had been marched down to the sea and shot by machine gun fire from behind.

同僚の看護師たちと同様に、ブルウィンケルさんは、海岸線まで行進させられ、後部から機銃掃射を受けた。

Then, as she lay face down in the waters filling with the blood of her friends and colleagues, Japanese soldiers had waded in and bayoneted the survivors. She managed to be overlooked by “playing dead”.

友人や同僚の血にまみれた海面にうつ伏せに倒れていると、日本兵たちが遺体の間をぬって歩き生存者に銃剣を突き刺した。ブルウィンケルさんは「死んだふり」 (“playing dead”) をして難を免れた。

Ms Bullwinkel spent two weeks in jungle caring for a wounded British soldier before giving herself up and spending three and a half years as a prisoner of war on Banga Island.

ブルウィンケルさんはその後2週間、負傷した英軍兵士を介抱しながらジャングルをさまよったが、最終的には降伏し、その後3年半、バンカ島で戦争捕虜として過ごした。

Tortured by secrets ‘hushed up the government’
国に口を噤むように言われ秘密に苛まれる

Before the nurses were shot on the beach, Ms Bullwinkel claimed she along with “most” of her fellow nurses were “violated” by the soldiers.

ブルウィンケルさんは、同僚の看護師たちとともに、海岸線で銃撃される前に日本兵たちに強姦("violated")されたという。

Lynette Silver is among those who have long believed Australian authorities “hushed up” Ms Bullwinkel’s account of the sexual assaults.

リネット・シルヴァー氏は、ブルウィンケルさんの性的暴行の証言をオーストラリア政府当局が隠蔽しようしたのではないかと疑う一人。

“There is no doubt that this happened,” Ms Silver told Yahoo News Australia. “There is also no doubt that Vivian wanted the truth to be told."

「それ [強姦] が起きたことは疑いようがありません」

シルヴァー氏は本紙にこう語った。

「ヴィヴィアンがこの真実が語られることを望んでいたこともです」

“I surmise that death intervened before she could speak out.”

「真実を伝えたい気持ちを、死によって遮られてしまったのではないかと、私は彼女の思いをそう推し量っています」

Before Ms Bullwinkel had died in 2000, she had confirmed to broadcaster Tessa Lawrence that “most of us” – meaning she and the women who had been gunned down – had been “violated” by the Japanese soldiers beforehand.

2000年に亡くなる前、ブルウィンケルさんは、ニュースキャスターのテサ・ローレンスさんに「我々のほとんど」(“most of us”) ―銃撃を受けた彼女自身と同僚の女性たち―は、日本兵に事前に「強姦されていた」ことを認めていた。

“She was tortured by these secrets and her sense of justice was offended by keeping them locked in,” Ms Lawrence wrote in Independent Australia on the 75th anniversary of the Bangka Island massacre in 2017.

「彼女はこの秘密に苛まれていた。彼女の正義感は、この秘密に縛られることを侮辱と感じていた。」

2017年、ローレンス記者は「バンカ島の虐殺」から75年目を迎えた日に書いた『インディペンデント・オーストラリア』(IA)の記念記事にこう書いていた。

“She wanted to put this in her statement before the war crimes tribunal but was ordered not to by the Australian Government.”

「彼女は戦犯法廷で証言にこの内容を含めたかったのだが、オーストラリア政府にそうしないよう命じられた」

When the nurse had fronted the International Military Tribunal for the Far East in Tokyo in 1946, she was “gagged” from speaking about the rapes, Ms Silver said.

1946年に極東軍事裁判で証言台に立ったとき、彼女は「口を噤まされており」("gagged")強姦のことを話すことができなかったと、シルヴァーさんは言う。

“She was following orders,” Ms Silver told the BBC. “In addition to the taboo, there was probably some guilt from the Australian government – senior officers knew Japanese troops had raped and murdered British nurses when the Japanese invaded Hong Kong in 1942, but were tardy in calls to evacuate the Australian nurses from Singapore.”

「彼女は命令に従っていました」

シルヴァーさんはBBCにこう語った。

「(強姦について公に語ることが)タブーであることに加え、政府には呵責もあったのでしょう。政府高官の多くは、1942年の香港侵攻の際、英国人看護師らが日本兵にレイプの末殺害されていたことを承知していましたが、自国の看護師らをシンガポールから引き上げようという訴えに、ただちに耳を貸さなかったから」

Perpetrators escaped punishment
処罰を免れた加害者たち

According to the Australian government, the perpetrators of the massacre still remain unknown and have “escaped any punishment for their crime”.

オーストラリア政府によれば、加害者たちは依然特定されておらず、「その犯行について一切の処罰を逃れた」(“escaped any punishment for their crime”) のだという。

An Australian Defence Force spokesperson told the BBC it was up to the government if a new investigation into the sexual assault claims could be launched, adding that “new historic allegations” needed to be reported by family members.

オーストラリア国防軍報道官がBBCに伝えたところによると、この性的暴行の訴えについて新たに調査に着手するかどうかは政府の判断次第で、そのためには家族が「歴史に係る新たな訴え」 (“new historic allegations”) を起こさなければならないことを付け加えた。


Among the evidence in Ms Silver’s book, is forensic evidence gathered by biographer Barbara Angell.

シルヴァーさんの新著に示される証拠のひとつに、伝記作家のバーバラ・エンジェル(Barbara Angell) さんによって収集された法医学的証拠がある。

Her work involved the examination of the bullet holes and the fabric threads of Ms Bullwinkel’s uniform. Ms Angell came to the conclusion that the bodice of the nurse’s dress was open at the waist and down the front when she was shot.

エンジェルさんの行った検証作業には、ブルウィンケルさんの制服に残された弾痕と衣服の切れ端を照合する作業が含まれた。結果、エンジェルさんはブルウィンクルさんが銃撃されたとき、彼女の制服は腰のあたりで開かれた状態になっていて、前の部分が垂れ下がっていたと結論づけた。

Other key pieces of evidence Ms Silver brought to light in her work included an account from a Japanese solider who had told an Australian investigating officer he had heard screams on the day of the massacres, and was told that soldiers were “pleasuring themselves on the beach and it’d be the turn of platoon next”.

シルヴァーさんが光を当てたもう一つの証拠は、虐殺のあった日に複数の叫び声が聞こえたと、オーストラリア軍の捜査官に証言した一人の日本兵の証言だった。その時その兵士には、他の兵士たちから「海岸で愉しんでいるところで、次は隣の小隊の番だ」(“pleasuring themselves on the beach and it’d be the turn of platoon next”) と伝えられていた。

Ms Silver and her co-researchers hope the publication of her book will finally see the sexual assaults that were committed against the nurses recorded at the Australian War Museum and other official documentation.

シルヴァーさんや他の研究者たちは、彼女の本が出版されることで、オーストラリア国立戦争記念館 (Australian War Museum) や公文書に遂に、看護師たちに対して行われた性的暴行が記録されるようになると期待している。

As for some of the families of the nurses who were killed in 1942, Ms Silver said the publication of such a significant body of evidence had been welcomed by those she had spoken to, telling Yahoo News Australia the relatives “are pleased that the speculation is finally at an end”.

1942年に殺害された看護師たちの遺族はどうか。

シルヴァーさんは、連絡をとった遺族らは、このような重大な証拠の数々が公表されることを歓迎しているという。

親族たちは「憶測に終止符が打たれることを喜んでいます」 (“are pleased that the speculation is finally at an end”)

シルヴァーさんは本紙に対してこう語った。

“If I didn’t tell this secret, I’d be part of the culture of silence and the government clampdown, and protecting the perpetrators,” she told the BBC.

「私がこの秘密について語らなくては、私自身も、沈黙を強いる文化や政府の圧力に加担して、加害者を擁護していることになってしまいます」

彼女はBBCにこう語った。

“These nurses deserve to have their story told – that’s their justice.”

「看護師たちの物語を伝えなければ。それが彼女たちへの正義です」

関連報道(新しい順)

日「東京新聞」(2019.4.27)

米ラジオ「ハワイ公共ラジオ」(2019.04.24)

英「BBC」シドニー支局(2019.04.18)

豪紙「キャンベラ・タイムズ」(2019.04.09)

豪紙「シドニー・モーニング・ヘラルド」(2019.04.08)

豪「ABCラジオ」(2019.4.08)

英紙「デイリーメール」(2019.04.07)

豪「インディペンデント・オーストラリア」(2017.02.19)

豪「ABCオンライン」(2017.02.14)

豪「シドニー・モーニング・ヘラルド)(2017.02.14)

豪「ABCローカル」(2015.12.18)

英紙「テレグラフ」(2012.02.01)

英紙「テレグラフ」訃報(2000.07.12)


noteをご覧くださりありがとうございます。基本的に「戦う」ためのnoteですが、私にとって何よりも大切な「戦い」は私たち夫婦のガンとの戦いです。皆さまのサポートが私たちの支えとなります。よろしくお願いいたします。