タワマン文学の漫画読んだら痛手を負った
『高円寺より愛を込めて』の話
サブカルオタクのすることってただの消費行動でもあるからハマりやすくて量産される割に、"誰とも違うおれ"を錯覚してしまう。そんなおれたちからサブカルを取ったら何も残らない一方でサブカルをアイデンティティにするのをやめた作中の女は、自分の納得のいく人生をちゃんと選ぶことができたのですね。
刺さりすぎて出血が止まらない勢いですが、私はサブカルが好きだしその領域から去りたくない。でも消費するだけの人生というのも疑問が残るかもしれない。だからせめて仕事面では能動的に、かつ何かを生み出す存在でありたいと思いました。人が自分の思わぬ方向に変わってしまうのは切ないけど止める権限も無いしなあと思いながら、それでも特に大学の文学科の友人たちには、自分の趣味への泥臭い熱量を忘れないでいてほしいなと思います。
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