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花粉症に悩まされず、冬も暖かいスペインのアンダルシア地方が好きである。
それは10年前、無職(リストラ)になり、心身ボロボロで家に居てもイイことないしなぁと約1ヶ月スペインを一人彷徨っていたんである。あ、もちろんバックパッカーで安宿巡る旅ですよ。

スペイン語は喋れなくても何とかなる。
だってこの頃はもう、ネットが普及し、TwitterもFacebookでも世界中誰とでも繋がれるし、GoogleMapさえあれば迷子になりようもない。

1998年時代の世界一周とは、次元の違う便利な旅行人になれるのである!

そんな私のスペイン一人旅は、白い街のフリヒリアナとかミハスとか、ウロウロっとしてたんだけど、なんていうか一人旅で行くとこじゃないキラメキがあるよなぁと改めて写真を見ながら思うのである。

↓↓↓これはたぶんミハス

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↓↓↓これはたぶんフリヒリアナ。こんな街ずるい。

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全てが美しくかっこよく見える白さずるい!
井戸端会議しているだけのはずのマダムたちが優雅にすら見える。
白き光のマジックですよ。(地元の人は全くそう思わないのだろうなぁ)


一方、雨のマドリッドの夕闇は幻想的すぎて、一人で鑑賞するにはもったいない感じがしていたものだ。

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それより更にもったいなかったのは、雨で買わざるを得なかった折りたたみ傘が4000円という高額出費で、めちゃくちゃショックだったことだ。しかも日本製の軽くて丈夫でシュッとしてる傘と違い、重くてダサくてデカい地元産だった。日本てマジいいもの創るわ・・・と思ったものだ(これは世界一周で散々思ったことでもある)


そんなお一人様スペイン旅行の最中起こったのが

東日本大震災でした。

バルセロナの宿からTwitterの流れるツイートから知り、すぐに夫にメッセージを送り、運良くすぐに無事を確認できた。

テレビのニュース番組チャンネルが分からず、英語が通じない宿の人に「TSUNAMI JAPAN」って言ったら血相替えてテレビのチャンネルを合わせてくれた。

スペインのテレビでは波に流される町の映像だけが延々と静かに移されている。手元のTwitterは文字情報の渦。

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私は一体何をやっているんだ。

痛烈な、罪悪感に似た感情。
これを罪悪感と言い切れるほど私は心清くないし、偽善者面をしたいわけでもないし、だからといってスペインでリストラの傷心を癒やしにノホホンとしている自分に、なんともいえない気持ちを持ちました。


帰国して、なにかやろう、と思いました。とにかく、なにか行動しよう。
生きているだけで何てありがたいこと。
私ができることってなんだろうって思った時に、今までやってきたIT系の知識経験を生かした「仕事でなにかの役に立つ」という還元しか思いつかなかった。

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すぐに再就職活動をはじめたのですが、見事に正社員の働き先が見つからない。そりゃそうです。未曾有の大震災で企業がてんやわんやしてる頃、37才女性のIT業界元営業と言え、はいはい雇ってくれるところはありません。

2ヶ月位活動して、正社員採用に見切りをつけ、派遣会社に初めて登録しました。仕事が優先ならば、雇用形態なんか二の次だとアッサリと思えた自分に清々しさを感じたのも覚えています。

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それから、色々な変遷があり、今の私がいます。10年前の私が、一ミクロンも想像してなかった私です。

だってその当時(10年前)、キャリアコンサルタントだの、コーチングだのの言葉なんて、ヒトカケラも触れることない生活だったんですよ。心理学も脳科学も組織論もリーダーシップも、無縁の人生というか生活を過ごしてました。


たぶん東日本大震災が起こって多くの人が人生観が変わったと言うように、

それを体感しなかった私もまた、人生が変わった一人だと思っています。

生きたい人生を生きられなかった人の代わりに、だなんて、おこがましくて言えません。でも、生きたい人生を生きたかった人が見たかったより良い未来を、未来に、少しでもつながるちょっとしたことが私の残りの人生の中で出来たら、死ぬ時に「ああ生きててよかったな」と自分に言えると思うのです。まぁそれも自己満足と言ってしまえばそれまでかもしれないけれども。


ということで今日は、目次もなんもなく、10年前のスペイン旅からの回想をつれづれ綴ってみました。

なるべくnote連続投稿してみようと思っております!さぁいつまで続きますことやら!!!


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