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いのちの停車場を観て、コーチングの在り方を想い、チーム・ブルーのように仕事したいと思う

昨日観た、「いのちの停車場」素晴らしい映画でした。

評論は他に譲るとして、私事として考えたことを綴ります。

医師の目的、コーチの目的

医師とコーチ、その職業を選ぶ中で起こることに、通ずるところがあるなと思ったんです。

例えば
・医者は病気を治すことを考える。
・コーチはクライアントの未来を考えてサポートする。

↑↑それって、本当に相手が望んでいることですか?

相手が答えを持っていなかったり、大切に想う周囲との答えが異なっていたりすることも多々あるのが、医療だと思います。これは私が父を看取る時に、家族である母や妹と色んなことを話し合った経験からも、よく分かります。そしてこれはコーチングやっててもおんなじです。

大事なやりかたにたった一つの答えなんてないのです。
だから医者という職業に就いた方を、私は本当に尊敬します。(除く利権や権威や地位のみに絡め取られた職業観の医者、とはなりますが・・)

絶対解のない世界で私達は一緒に生きている。

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コーチングやらせていただいたあと、本当にこれで良かっただろうか?という自身への問いが発生します。どれだけクライアントの方が、喜ばれて、感謝をしてくださったとしても、です。

だって、未来がこれで良かったと決められるのは、その方でしかないのです。そして私はその方をただただ信じるしかないのです。

こう書いていて思ったのは、ただただ信じるしかないと言いつつ、毎回自身への問いが発生する、というのは、まだ自分へのベクトルが大きすぎる(自己意識過剰)なのかもしれません。相手の中に答えはあるのですから、私はとことん黒子です。と言いつつ、私の我が、何か訴えているのかもしれません。

そしてその自身への問いは、次につながるものとして必ず昇華させていこうという決意もまた生まれます。

キャリコン資格を目指す学習グループの中でモヤモヤしていたことを思い出しました。私の何がそうさせるのかを自問自答していました。それもまた、過剰な自身へのベクトルだったのかもしれませんし、同時に私にとっては内省をする貴重で豊かな時間でもありました。

その経験を糧に、「我」を殊更に出しすぎないとしても、「私」だから貴方と共にあれるこの瞬間に一緒に見えるものがある、のだとしたらこれ以上ありがたいことはない、というのが今の私のコーチングスタイルです。


今日の一冊「チーム・ブルーの挑戦 命と向き合う「やまと診療所」の物語 」

先月図書館でたまたま手にとった本「チーム・ブルーの挑戦」は、いのちの停車場のような使命感を讃えた「チーム」を現実化している話です。これは読んだほうが良い本。

人の生きざまは、患者と医者、ではなく、全体。そしてコーチングもまた、同じ世界観で私もいられたらと思う。

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