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予備自衛官補(技能)試験に応募してから合格するまで その2

(基本すべて無料で読めます、有料部分は投げ銭用です)

予備自衛官補(技能)採用試験

4月17日土曜日の朝8時30分から、陸自朝霞駐屯地での試験。昼食持参とのことだったので、最寄り駅の和光市駅前で唐揚げ弁当買って、小雨の中タクシーで試験会場へ。面倒を見てくださった地本の広報官に、現着したことをSMSで報告。

試験は身体検査、口述試験(20分程度の個別面接)、適性検査と筆記試験(小論文)からなる。集合時間は朝7時半から8時10分、最後の小論文が終わるのは17時10分予定なので、完全に一日仕事だ。

陸自の広報施設「りっくんランド」がある朝霞門から入り、マイクロバスで試験会場まで移動。駐屯地の中はめちゃくちゃ広く、試験会場の建物まで10分弱かかる。

まず建物1階で受付が行われるが、制服着た自衛官に囲まれるとこちらもやや緊張してくる。大きなセミナールームのような部屋に50名ぐらいが集められ、試験の全般説明を受ける。受験者の98%程度はスーツ姿で女性は5%ぐらい、平均年齢は40代前半ぐらいといったところだろうか。

試験進行担当の方はスーツ姿、説明は丁寧で受験生に対する気遣いが感じられ、自動車免許の更新講習よりも雰囲気は相当和やか。

午前中いっぱいかけて個別面接があり、その後身体検査。

個別面接

40代から50代ぐらいの立派な制服を着た3人の方に対して、私1人で質疑応答、およそ20分間の面接。圧迫感はなく、終始和やかなムード。

まずは自己紹介をするよう促され、私は志望動機を織り交ぜながら自己紹介。

26年間外資系の企業に勤めて、もうすぐ退職する予定であること。外資系企業にしか勤めたことがないことが心残りで、日本のために直接的に働きたくて、予備自衛官補の試験に出願したこと。

帰国子女でもなく、いわゆる「純ドメ」だけど英語でコミュニケーションできないと生き延びられない環境に置かれていたので、「習うより慣れろ」で英語が聞けて話せるようになったこと。

自分よりも上手に英語を話せる人はそれなりにいるかもしれないが、実際に米系企業の日本法人で、日本とアメリカの間に立ってマネジメント職を経験した人はおそらくあまりいないはずで、そのスキルを役立てたいと思ったこと。

具体的には、日米間での文化や商慣習、自社のポジションの違いを理解した上で、お互いの「当たり前」がもう一方では「当たり前」ではなく、同じやり方ではなぜうまくいかないのかを、「当たり前」と思っている相手にロジカルに理解できるよう説明しないといけない立場にいたこと、そのスキルが活きる場面が、同盟国アメリカと協力しあう自衛隊では必ずあるはずだと信じていること。

2008年に会社の東京オフィスで当時最年少で最上級の職位まで昇進したこと。一度自分でやると決めたことは必ず成し遂げること、40歳になって思い立って始めたフルマラソンは今でも4時間前後で走れ、8年前50m泳ぐのがやっとのところから始めたトライアスロンでは、過去18回参加した中で一度も棄権したことがないこと。体力には自信があること。

そのようなことを、自己紹介がてら話した。「聞きたかったことは大体話されてしまいましたね」、と制服姿の3人の面接官が顔を合わせて苦笑い。

「英語は現在何か勉強していますか」「専門用語に慣れないといけないと思い、防衛白書の英語版を読んだりAFNを聞いたりしています」

「ご家族は今回の応募についてなんとおっしゃっていましたか」「お国のために役に立つならぜひ行ってこいと言っていました」

「訓練を受けないと予備自衛官にはなれないのですが、ちゃんと訓練は受けられますか」「今の仕事も退職予定ですし、自分の年齢を考えると無駄にできる時間は少ないので、最短の時間で訓練を終えたいと思います」

「自分で決めたことをやり切れるのはなぜですか」「こんなことも英語で話せないのか、って思うようなこともあるかもしれないですが大丈夫ですか」などの質問にもきっちり答え、無事面接は終了。

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身体検査

受付をした建物から再びバスに乗り、医務室のようなところに移動。廊下でスーツを脱ぎ、銭湯でよくある脱衣かごに入れ、持参した無地黒系のTシャツと短パンに着替える。無地黒系のTシャツを持っていなかったので、前日慌ててユニクロに買いに走った。

いわゆる健康診断だけ行われるのかと思っていたら、病院の待合室のようなところで、二曹のバッジをつけた女性からの指示で、四股を踏んだり体をそらせたりのラジオ体操的なことをする。体と関節、平衡感覚がスムースに動くのかをチェックされる。旧軍の徴兵検査もこんな感じだったのだろう。その後は視力・色覚、身長・体重、レントゲン、問診その他の通常の健康診断。

問診を待つ待合室にオリーブ色の担架が置いてあるのを見て、やはり軍隊なのだな、と改めて身が引き締まる思いをした。

身体検査終了後、昼食となった。各自持参した弁当を食べる。そして建物の外にある飲み物の自動販売機を使っていいこと、自由にしていていいことを告げられる。私はラップトップパソコンを持っていって、余った時間で原稿を書いていた。待ち時間が長いので、何か暇つぶしがないと時間を持て余すだろう。

適性検査

昼食後は適性検査。

「ふと自分が自分でなくなる感覚を覚えるときがある はい・いいえ」
「自分はこの世からいなくなった方がいいと思う はい・いいえ」
のような問題が延々と続く。

ここまで試験をわざわざ受けに来て「はい」に丸をする人はいるのだろうかといぶかしく思いながら、ものすごい勢いで終わらせる。普通の人は、何も心配する必要はない。

筆記試験(小論文)

そして最後の科目、小論文。お題は、「自分の特技が自衛隊の中でより発揮できるようにするためには何をすべきなのか自分の考えを述べよ」、だった。

事前に地本の広報官から過去問をもらっていたので、設問は予想の範囲内。

私は、「語学要員としてただ表面的に言葉を訳するだけではなく、前後のコンテクストも理解した上で正しい翻訳を行えるようになりたい、そうでなければ、わざわざ人間が訳さなくても機械翻訳で事足りるはずだ。そのためには、自衛官としての経験がない自分はできるだけ多くの時間を常備自衛官と過ごし、彼らの考え方を理解できるようになることが重要だと考える」的なことをA4用紙1枚にまとめて書いた。

これで試験終了。早く終わったら早く帰れるようにしますからね、と案内の係の人が言ってくださっていて、実際そうなった。ありがたい。もっと杓子定規なのかと思っていた。

またマイクロバスに揺られ、朝霞門まで送っていただき駐屯地を後にする。

面倒を見てくださった地本の広報官と、地本を紹介してくれた中学時代の同級生の二等海佐に無事試験が終了したことを報告。「これで落ちたら、自衛隊のこと嫌いになるレベルまで頑張りました」と伝えた。

二佐に冗談で、「極右はバックグラウンドチェック大丈夫?」と聞いたところ、「面舵一杯は大丈夫じゃない?」と船乗りらしい答えが返ってきた。

そしてその1か月ほど後、警務隊と公安警察によるバックグラウンドチェックも無事に通り、合格通知が届いた。

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今一つ実感はないが、これでひとまず目標は達成。あとは訓練招集に応じるのみ。8月末に2週間、横須賀の武山駐屯地にある教育隊で訓練を受け、無事に終われば予備自衛官補ではなく予備自衛官になる予定。

予備自衛官補(技能)から予備自衛官になった方のインタビューや訓練の実際については、こちらのYouTubeで見られる。

ケガした隊員を止血帯使って止血する訓練風景が和やかに撮影されているけれど、止血帯使わないといけないぐらいのケガをするということは、実際には災害時に二次被害にあったり、敵から攻撃を受けて負傷した同僚を敵からさらに攻撃される危険を冒して助けている状況なわけで、それを想像すると自分はおそらく訓練中笑ったりできないわ、と思う。

技能公募で予備自衛官になっても、自らの身を守るための射撃訓練等がある。後方任務につく予備自衛官とはいえ、米軍との大規模訓練や共同作戦等で必要となれば前方に行くこともなくはないかもしれず、改めて身が引き締まる。自分が言葉を訳し間違ったせいで犠牲が出ることだって可能性としては起こりえるわけで、責任の重さをひしひしと感じる。

進捗あればまたお伝えいたします。

最近プロとしてウェブ媒体/Yahoo!ニュースに文章書いております。旅行記、お酒関係、クルマ関係、それ以外も原稿依頼は喜んでお受けしますので何かございましたらTwitter @tk_whiskeykitan までDMにてご連絡くださいますようお願いいたします。

また何か質問があればこちらまで。https://peing.net/ja/tk_whiskeykitan


ここからは予備自衛官補の試験を受けられる方に対するアドバイスとなります。

志願票の書き方
個別面接(口述試験) 準備しておくべき質問項目と模範解答
小論文の過去問(技能公募)と模範解答の書き方

ご興味があれば、もしくは投げ銭がわりにご覧ください。


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