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わたしってキレイですか...?

顔を合わせれば、「わたしってキレイ!?」と自分の小顔を指差して言う人だった。
その時の顔は、綺麗ぶって、お高くなっているのとは違う。
むしろ無邪気な子どもが大人を真似してお歯黒をして、歯を見せながら顔を突き出すような純粋さも表れていた。
自分の家がゴタゴタになっている、家が燃え続けている。
それによって、危機感感じて、焦燥感感じて、その中でやっとその人が自分でできること。
それが、その言葉を私に対して言うことだった。

子供の頃、時々夜になると、母と父が火山が噴火するように怒鳴り合いを始めた。
壁が割れそうになって、布団にうずくまって、耳が開いた状態。その中で、冷えた空気がさーっと横切る深夜の数時間を過ごす。
私が最近、本を読んで知ったこと。
子供というのは、親に問題があると、一方では、大人になろうとして大人びるが、もう一方では、幼稚な部分が残り、間の部分が空白になる。
だから、同年代からは、浮いて見え、仲間外れにされ、虐められる。
彼女もそうだった。
そういう中で、彼女が自分の存在が認められるためにできたこと。
それは、人に対し、その言葉を言って、自分の方を見てもらおうとすることだった。

やがて父と母が別れてのち、彼女の母は何度か自殺未遂をしていた。
母は鬱病で働けなくなっていた。だから彼女は、一人暮らしの母親にクレジットカードを与えていた。
するとある時、1ヶ月で50万も使っていた時があった。
カードのWEB明細には、4万円で何とか、9万円で何とか、32万円で何とかと並んでいた。
だから、
「アンタ!娘が風俗嬢やって稼いだ金で、何やってんだ!」
と剣幕でバーッと言った。すると翌日、母親は自殺未遂をした。
彼女はそんなことを、ベッドに座ったまま、あまり感情を見せる訳でもなく、つぶやいた。
この時、最初に彼女が口にしたのは、
「20歳の時、うちの親離婚したの。」
だった。
その言い方は、両親の離婚について口にする時の女性に共通する言い方だった。
わりと、何気なく、そのことを口にしてくる。
それはおそらく、離婚のショックをわめいて人に言って見たい思いが、心の中にはあるのだろうが、それを平板化して抑えて言っている感じである。
自分にとってショックなことを口にすることで、人に同情して、思い遣って、何か特別な境遇として特別に保護してほしい。
そういう期待を抑えた上で口にする。しかしその期待が微かに表れた言い方だ。
何気なく口にしてくる。これは、両親のそのような事態を口にするときの若い女性に共通している。

私の父は消防士で、救急隊員だった。
火事で燃えたビルの中から、目ん玉が飛び出た焼け焦げた死体を運び出す。
マンションの屋上から飛び降りた人の遺体も目にする。
そういうのを日常見ているので、特殊な心理状態にいた。それが原因で、私を含め男兄弟は、父のDVの対象になっていた。
妹は女の子だから、殴られたことはなかったはずだ。
でも妹は、成人してから、新興宗教を渡り歩いていた。
自分がどこに行けばいいのか、分からなくなっていたのだろう。
私の方はこういう話をした。
すると彼女は、
「えーっ、すごいね」
と言いながら、自分の体験していない話を聞いたことで、返答の仕方を一瞬困った様子だった。

私が彼女と出会ったとき、彼女は父親から家を与えられていた。そこに一人で猫と住んでいた。
「この子甘えん坊なんだよね」
と寂しげに言う。
ネットで出てくるトンデモネタにハマっていて、「世界おわっちゃえ」という感じだった。
仮想の世界に逃げ、この世が幻想であって欲しいと願い、大地震が早く起こらないかなと口にし、心に大きなマグマを抱えていた。
中国の元首を実は神だと言い、イエス・キリストは日本に来て日本を作ったのであり、世界大戦は500年前にもあって、これが証拠だ、と言う写真を見せてくる。

そういうトンデモ話をする彼女に対して私がするのは、こうだった。手を握って、「綺麗だ、美人だ、可愛い」と言って、抱き締めることだった。
額にキスした。眉間にキスした。鼻頭にキスした。
すると彼女はふと微笑んで「ありがと!」と言って目を開き、顔は丸くなり、私の唇にキスを返して、一生懸命必死に抱きついてきた。

ヴィーガンなので、食事は手作りが多い。牛乳の代わりに豆乳、バターの代わりに塩麹。手作りパンも上手かった。
ただ、コーヒーの豆をフライパンで煎る時、異様に深煎りする癖があった。
しかもそれを鍋で煮出す。
その味は、カフェイン強すぎで、炭のようで、粉っぽく、うっとなる濃さだ。
でも何か感じるのである。
人がようやく小さな力を振り絞って、混沌とした状態から這い上がろうともがくとき、ドロドロの濃くて舌に強い味の残る、真っ黒なコーヒーを飲もうとする気持ちが。
だから、そのコーヒーを嫌だとは言えなかった。
彼女は、そのコーヒーを「あ、おいし」と言って飲んでいた。
だから私も一緒に飲んだ。美味しいかどうかは問題ではなかった。一緒に飲むべきと思ったからだ。
そして彼女の顔を見ながら何度でも口にするのは、可愛い、素敵だ、という言葉だった。

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