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【第二歩】ワタシはなぜ「ミス・サイゴン」を4回観に行ったのか?(後)

2回目の「ミス・サイゴン」

 9月某日、ワタシは大阪にいる。
 なぜかといえば、またまた「ミス・サイゴン」を観るためである。
(というか、今観てきたばかりなのだが・・・)
 だから、このテキストのタイトルは変更を余儀なくされている。
 しかし、「ミス・サイゴン(東京公演)」に関しては4回であり、今更変えるのも何なので、この項のタイトルはそのままにしておく。
 もちろん、この大阪に行くまでの話も今後、書きたいと考えている。

 前回は、「ミス・サイゴン」を1回目観たところまで書いた。
 しかし、最初に当選したチケットは、2回目の「8月14日18時1階A席」であった。
 これは、チケットぴあの貸し切りデーで、先行販売されていたものだ。
 もちろん、最初は「キム=高畑充希」を狙ったわけだが、間違って購入したのが、この日のチケットである。
 この日のキムは屋比久知奈で、エンジニアは市村正親であった。
 結局、リセールもせずそのまま観劇することにしたのは、キムの違いを体感してみたいと思ったからだ。
 高畑充希のキムは、他の演者と比べてどう違うのかという興味があった。
 今回の「ミス・サイゴン」でキム役を演ずるのは、高畑充希と屋比久知奈、昆夏美の3人で、高畑充希を除くふたりは、生粋のミュージカルキャストである。
 高畑充希もピーターパンをはじめ、ミュージカルに数多く出ているものの、2016年頃からはTV、映画など多方面で活躍しているので、他の二人に比べれば、やや実力に劣るのではという危惧があった。
 2021年の「ウェイトレス」もミュージカルであり、ワタシも観たが、その歌唱力は素晴らしいことを体感した。
 だが、比較対象として、ワタシは他のミュージカル舞台というものを観たことがない・・・。
 だから、キム=屋比久知奈版も観たいと思ったのだ。
 
そして、2回目の「ミス・サイゴン」を観た感想は明確だった。
 ワタシには「キム=高畑充希」でないとダメだと、痛切に感じたのだ。
 もちろん、屋比久知奈が極端に悪いわけではない。
 特に高音域の発声、パワーは、高畑充希より上のように感じた。
 だが、セリフのような箇所の発声は、やや聞き取りにくい場面を多く感じたし、伴奏と発声がややずれているような場面もいくつか感じた。
 それらの感想も、ミュージカル観劇はわずかしかないワタシのような素人によるものだが、それらを差し置いて、結局、キム=高畑充希でないと、物足りなさが非常に残るのだった。
 つまり、キム=高畑充希の1回目がダントツに良かったのだ。

3回目まで・・・

 そのように2回目の観劇に思いの外、消化不良の感覚に見舞われたワタシだったのだが、3回目(キム=高畑充希)の観劇予定は、8月30日ということで、しばらく先だった。
 これでは、間が空きすぎると思われた。
 特にこの頃は、まだ、新型コロナウイルスによって、舞台が中止になってしまうという事例が数多く起こっていた。
 幸いして、「ミス・サイゴン」に関しては、最初のプレビュー公演が中止になったものの、8月中旬までは、通常通り公演されていた。
 しかし、このような状況では、いつ中止になるかもわからない。
 高畑充希=キムを観られる状況ならば、8月30日を待たずに、なんとかしてチケットを取り、観たほうがいい。
 そうしないと、もう観る機会を失う可能性がある・・・。
 そういう考えが2回目の公演後の、帰りの電車の中でまとまった。
 ということで、近日中の公演の、キム=高畑充希版「ミス・サイゴン」のチケットを取ることにした。
 もちろん、公式販売では販売は終わっている。
 なので、転売サイトを利用することにした。
 今回は、「チケット流通センター」というサイトを利用した。
 転売チケットを買う事自体はじめてだったので、買うのに少々苦労した。
 これまで、A席しか取れなかったので、この際なので、S席を狙った。
 S席の定価は15000円だが、良席だと4万とか、5万とかあったものの、現実的な値段で25000円以下で出しているものを狙った。
 ということで、8月16日18時のチケットを買った。
 つまり、2回目の公演(8月14日)の夜に購入した。
 我ながら、決断と実行が早い・・・。
 翌日に発送してもらい、公演当日に受け取るというやや心配な条件だったが、もはや、勢いだった。

 心配をよそに簡易書留で送られてきたチケットは、発送から翌日午前に局留めされた郵便局に無事に届けられた。
(簡易書留というのが、翌日配達されるということを知らず、間に合わないのでは?とやきもきした)
 午前中にそのチケットを受け取り、埼玉から帝国劇場へ3度目の出勤となった。

 余談であるが、ワタシは埼玉県北部の久喜市に在住するが、JR久喜駅から東京駅までは、宇都宮線(上野東京ライン)で1本で行ける。
 しかも、グリーン車でも50km以内なので、平日780円、休日580円である。
 ということで、ワタシはほぼ毎回グリーン車で行っていた。
 帝国劇場の最寄りJR駅は有楽町駅だが、ワタシは東京駅からキッテの地下を経由し、東京国際フォーラムの地下を経由し、有楽町線の地下道を経由するルートを通った。
 このルートの良い点は、地下なので、雨でも行ける・暑さをしのげるということの他に、キッテ周辺のデジタルサイネージで、三菱地所のCMが表示されている点である。
 「三菱地所と次にいこう」ということで、高畑充希がお見送りしてくれる場合があるのである。

 チケット受け取りもあり、当日は仕事もほとんど休業することになり臨んだ、3回目の公演。
 観た感想はと言えば、やはり「キム=高畑充希」は素晴らしい・・・。
 まあ、ワタシがファンだからだということに尽きてしまうのかもしれないが、彼女の歌声は、特に高温の伸びやかで、透明感がある声には、本当に惚れ惚れしてしまう。
 今回は、S席だったのだが、そこまで前方ではなかったものの、表情がよく見えたのもよかった。
 舞台における高畑充希の醍醐味は、その表情である。
 元婚約者である将校がエンジニアにキムを探させて、キムの住居へやってくるシーン。
 タムを抱きながら、将校を撃つまでのシーンにおける気迫に満ちた表情は、ワタシのツボである。
 
 そして、3回目の観劇に大満足したワタシは、8月30日に4回目を観劇することになっていた。
 だが、その直前、数回の公演が中止になってしまった。
 恐れていたことが現実になってしまった。
 これは、避けられないことでもあるのだが、現実になってみると、今後が心配になった。
 だが、その心配をよそに無事に30日の公演も開催できることが発表された。
 中止になった回を観劇予定だった方々には、何度も観に行っているというワタシは申し訳ないという気持ちなのだが、観られない方はどうにかして、観に行ってほしい。
 その8月30日は、昼公演と夜公演ともにキム=高畑充希という強行スケジュールとなった。
 「奇跡の人」でも昼夜公演ある日もあったが、他人事ながら、だいじょうぶなのだろうか?と心配になった。
 だが、そんな心配は当然ながら杞憂であった。
 過去に2回と同じく、どこに遜色もなく、素晴らしかった。
 こういっては、なんなのだが、何回観ても飽きないというのは、どうしてなのだろう?

 勝手な思い込みにすぎないが、高畑充希にとってこの「ミス・サイゴン」はひとつの到達点だと思える。
 少なくともミュージカル作品としては、ひとつの頂点ではないかと勝手に思い込んでいる。
 おそらくは、「ミス・サイゴン」はこれで最初で最後になってしまう可能性が高い。
 過去には、2年間隔で再演されているが、もしできるのすれば、2年後がギリギリのタイミングだろう。
 そうはいっても、今年30歳の高畑充希が、32歳になったとき、キムをやれるのかどうか?
 そんなことを考えながら、帰路につくわけだが、こうして、2022年の8月が終わろうとしていた。
 「ミス・サイゴン」に始まり、「ミス・サイゴン」に終わった8月として、記憶に残るだろう。

 最後に、全体としての「ミス・サイゴン」の感想を書いておこう。
 率直に言うと、ストーリーは薄く、人物描写もありきたりではあると思う。
 また、問題なのは、セリフである。
 おそらくは、30年前のものを基準にほぼほぼそのままなのかと思う。
 ロンドン公演のブルーレイも観たが、今回の日本公演でもほとんど同じセリフ(翻訳)が、多いように感じた。
 時代背景のこともあり、変えすぎるのはよくないかもしれないが、特に差別的なセリフは違和感だけが残る。
 時代とともに幾分変えていくことも必要なのではないか?
 それに引き換え、楽曲はどれもすばらしい。
 このミュージカルが素晴らしいのは、まず第一に楽曲がすばらしいことにあるだろう。
 また、戦争に関する表現についても、演劇という舞台の中での表現ということで、限界があるのは承知だが、きれいに描きすぎているようにも見える。
 しかし、それが演劇ということでもあるだろう。
 まず、日本人の感覚として、戦争を題材にミュージカルは作れないだろう。
 これをやってしまうのが、アメリカである。
 ワタシ自身、基本的に戦争映画が嫌いなので、ほとんど観ていないのだが、この舞台をきっかけにベトナム戦争に関する映画をいくつか観てみたいと考えているところだ。
 少なくとも、ミュージカルとはそのように寓話として存在し、表層をエンターテイメントとして、なぞりつつも、反復することによって、何か次の行動へ誘う・・・そういう効果があるように思う。
 少なくともワタシにはそういう作用があった。

 現実として、2022年戦争が起きている。
 ベトナム戦争時とは異なり、単純な国家間の対立ではなく、民族や宗教が絡んだ、第三者からは想像できない対立構図が存在するように見える。
 
 「ミス・サイゴン」はそうした現実の戦争とは一切関係はないが、こうして「ミス・サイゴン」が上演できること自体が平和の象徴である。
 そして、なぜか4度も観に来てしまうワタシは、あまり自覚はないが、かなり幸せなのだろう。
 だが、これは自覚しているのだが、「高畑充希」という女優の最高の舞台を観ることができて幸せである。(この項完)


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