小説「きみを わする」幕間モノローグ

 境界線を浮かばせて、いつ来た水際に男はまた身を置いた。
 以前男はここで、死を思った。自らが死ぬことで世界は何が変わるだろうかと。その事を想像することでしか、自分の存在意義を確認することができなかった。そして今、あのチケットに導かれるように、あの例の女の前で幽霊になってみせる。時々、自分が本当に幽霊なのではないかと思い込んでしまいぎょっとする。世界にはノイズがあって、その歪みの中に生きる、そんな存在なのではないかと。少し歩いてみる。地の感覚。足の裏に伝わる。

 今日もこの水面は綺麗だ。三日前に有架と父親の口論を見た。そして急激に自分の存在の危うさを意識した。しかし今不思議と、その事は後景化してしまっている。一度世界が終わってしまったかのような、投げやりさにも似た軽やかさ。遠くに聞こえる乱暴な波音に、耳の焦点が合わないからかもしれない。
 男はふと、覗き込んでみようと思い立つ。これは前来た時には思わなかったことだ。身体の上半分を乗り出し、見つめようとする。コートのボタンを気にかける。でも、大丈夫そうだ。
 鏡のように光を写す水面の奥を眺める。浅い場所では水は透き通り、底の堆積物が見える。その先に目線を移していくと途端に奥底となり、暗くなってしまう。その様子、透明と暗黒の間を、克明に見つめた。そこには畏れと、親しみがこもっていた。
 長く歩いた。足の裏には痛みに似た疲れの感触がある。男は座り込み、回復を待った。
 あの女、有架は何なのだろう。彼女もまた、世界に何か意味を残そうと焦っている表現者なのだろうか。彼女の頭の中を見てみたい。この演劇に宿る意思を、余すところなく聞いてみたい。演者と傍観者という立場を越えて、交わりたい。しかしそれは許されるのだろうか。
 足の痛みはやがて、身体の中に遠くなって消えていった。身体、感情、頭の中にはきっと深層があり、果てがない。そしてその奥底に思いを堆積していった。自身の体を、遠くから撮影している点のように想像してみる。それは寂しい風景だろうか。やがて、男はそこから離れ、帰っていった。あの海は頭の中へ残った。

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