享楽主義

10月は清算の月にしようと思う。

まずジムとサークルの会費を払う。

正直、相当な痛手である。

だがこんなものは稼げばなんの問題もない。

モーマンタイだ。

大事なのは後悔の清算だ。

今までの怠慢のツケを払わなければ。

怠慢とは堕落であり、堕落した先にあるのは退屈だけだ。

それは手持ち無沙汰で暇という意味ではない。

人生に対する退屈、つまりは鬱屈である。

己を殺し刻苦精励する事は、正気の沙汰ではない。

だが狂気に身を浸さなければ、退屈という悪魔は殺せないのだ。

快楽を禁じ続けた人間が狂人となり、快楽を浴び続けた人間が廃人となる。

享楽主義では人は生きられない。

生きられるのは白痴だけだ。

だが享楽とは、快楽だけを指すのだろうか?

何かを成したときに感じる悦楽、それもまた享楽と呼ぶことができよう。

しかし、容易に達成できるものでは大した享楽は感じられまい。

一切の欲を排除し、大いなる意志を達成するために克己奮闘する。

これこそが真の享楽主義であると、私は提唱したい。

やはりそのためには狂う必要がある。

あるいは、まともであることの、なんと下らないことか。

(結局ブラボで締めるんかい...)


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