保育園は希望すれば入れるもんだと思っていた。そんなふうに考えていた時期も、僕にはありました。

 最初にリンクから。

http://anond.hatelabo.jp/20160215171759

 東京23区の保育所利用調整の結果が続々と各ご家庭に送付される2月中旬に投稿されたはてな匿名ダイアリー。何度読んでも日本中に轟音が鳴り響いた印象を受けるのは、自分も保活当事者だからだと思う。独身時代は言わずもがな、DINKs時代も、こういう情報に目もとめずにいただろうな。

 ちなみに中の人はツイッターでも辛辣な状況をつぶやかれています。 

我が家の保活(彩の国の南側)

#保活 が落ち着いた今だから文章にすることが出来ることだけども、我が家も「保育に欠く」状態と自治体に認められたにも関わらず、娘は保育所に入れなかった。

 結婚して住むところを決める際、子どもについての喫緊の予定こそなかったけど、やはり「〇〇(自治体の名前) 待機児童」で檢索をかけて、大丈夫そうだ、ということでここにした。産後、里帰りから戻って、自治体の保健師さんが新生児訪問にいらしたときも、「待機児童はこのあたりの自治体のうちでは少ない方です」と教えて頂き、ほっとした思い出。ほっと気を緩めて、その後に続いた「でもゼロではないんですよ」のヒトコトを、非常に甘く見ていた。

 秋めいてきて、娘も生後4ヶ月、身体もしっかりしてきたころ、さぁ保育園見学に行こう♪とレジャー気分で予約して、見学をして、希望順を決めた。このときは施設の良し悪しや保育士さんの雰囲気など、「こういうところに預かってもらいたいね」とほんわかした気分でいた。

そして不承諾。唖然。

 唖然のち、阿鼻叫喚。

 保育所に入れないということは、ニアリーイコールで私が退職せねばならないことを意味する。夫は育児休業を取れないし(この辺りはまた考えるところがあるので別ノートに記す)、じじばばは協力的だけど飛行機の距離に住んでいるからおいそれと呼び寄せたりも出来ないし、どうすればいいのか。

 子どもをその飛行機の距離の実家に預けて復職も考えた。むしろ先に入れる保育園を探して、その近くに私と娘で引っ越すという、保活転居も考えた。こうしたら娘を保育園に通わせられる、私も働ける、こうしたら、こうしたら。

 考えに考えて、「家族がバラバラになるこの状況は、一体何なんだ」と冷静になった。

 保活が本格化する前に読了していた #保育園義務教育化 が思い出され、「こんな社会になったらいいのに」という願いが、忙しさに紛れていたことに気づく。

保活を死語に

 そうだ、娘にこんな余計な苦労を味わわせたくない。娘には、よく学び、よく考え、人を愛し、友と笑い、仕事に励み、自分の人生を謳歌して欲しい、そう願っている。彼女の人生は、このような社会制度の欠缺に足を取られてはいけない。

 保活なんてただの流行ワードで、いつか保活って何?という時代が来る。というか、来るようにしないといけない。今、この状況を変える努力をする。

 そこで、我が家なりの方針としては、保育は福祉でなくサービスと捉え、保育関連事業への投資的行動を惜しまないことにし、また、現在進行形で自治体宛に異議申立書を書いている。

 そもそも保育園は作れても(わが街には土地の余裕あり)、保育士が採用できずに開園できない状況があるなど、保育士の待遇も問題のひとつ。保育士の給与保証など、ファンド形式でどうにか出来ないか。また、保育園経営上の事務作業や製作ものの準備など、保育士以外でも対応可能な業務を保育士以外が担当するような業務モデルは作れないだろうか、など考えた。思いつく度にツイッターでつぶやくと、意外とリアクションをもらえる。皆同じことを考えている(そして同じこと、不承諾になる・なった不安で思考がいっぱいなのである)。

 異議申立書は、仕事で行政庁宛の文書を書く機会が多いので、たとえ書面のひとひらになろうとも、不承諾になった我々の思いを適式に伝えたい。3月あたまに市役所の保育課に持っていく。今は保育所利用調整で漏れた人や、申し込みができなかった人を対象とした二次調整に書類が進んでいる状態。もし二次で拾われたとしても、異議は異議として社会に届ける。

継続して考えなければ。

 最後になるけれども、今はこんなに保活に熱くなり、社会が社会がと喚いているものの、こういう自分の熱意が持続しないかもしれない、という内なるおそれがある。

 保育園に入れた!やった!やった!で問題が終わってしまう可能性は大きい。いちぬけた!の爽快感は他に形容しがたいものがあるうえ、保育園が終われば小学校に入り、いわゆる小1の壁やPTA問題に直面する。それぞれ、悩む。

 だからといって、どうしたら継続して考えていけるか?目の前のことでいっぱいいっぱいになるだろう。継続して考える切っ掛けとしてこのマガジンを残す。

 駄文だろうと、推敲なってなかろうと、思いをノートに。