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闘う理由

【はじめに】
今回の記事で記載している当時の親は、
現在一緒に暮らしている両親とは別人です。
今はとても尊敬できる両親と共に過ごせていますので、そこだけは絶対に誤解のないようにお願いします。



どうも
スーパーアキタ人こと
大高悠偉です


写真は自分が幼稚園のときです。
かわいいでしょ?

今回は、私がなぜ格闘家としてリングに上がっているかをお話しします

まずは自分のルーツを簡単に紹介します。

1996年(H8)11月26日に秋田市にて生誕

秋田市立広面小学校
秋田大学教育文化学部附属中学校
秋田県立秋田工業高等学校

そして大学進学で千葉県へ

という秋田歴です。

5歳になる前くらいに両親が離婚
一時母親がシングルマザーだった記憶がありますが、すぐにどこぞの空手の先生と再婚。

理由は俺ら兄弟の空手を近くで育てたいから。
みたいな理由だったかと。

正直結婚の理由としては意味不明ですが、
当時は子供だったので成り行きに身を任せるしかありません。

ここからの生活は最悪でした。

幼少期から自宅で撤退的なスパルタ指導

放課後に友人と遊びに行くことを規制され、

道場の稽古のあとは帰りの車内でひたすら罵声。

幼年期には稽古中に後ろから頭を思い切りぶっ叩かれ、脳震盪を起こした記憶が今でもはっきりあります。

また、小学生の時には親2人監視の元、
深夜2時まで泣きながら稽古させられた記憶もあります。
(熱血指導ではなく、ただの虐待だよな)

さらには空手に限らず、
親の機嫌を損ねると容赦無く暴力が襲いかかります。
(特に記憶にあるのは、ドライヤーで頭を殴打されたこと。顔面を蹴飛ばされたこともあった)

人格否定と暴力を受け続ける日々でした。

空手で高校大学ともに推薦で進学できるくらいの結果は出ていましたが、空手も家族もずっと嫌いでした。

幼少期から高校生まではほとんどが辛かった記憶しかありません。

大学進学後の1年間は空手をやっていましたが、
空手への熱意は全くありませんでした。

そんなある日、
テレビでボクシングの井上尚弥選手の試合をたまたま見ました。

「ボクサーってかっけぇ!」
と衝撃を受けたのを今でも覚えています。

リングの上で命をかけて戦う戦士に憧れ、
大学2年生からボクシングを始めます。

空手をやめることを家族に伝えたところ、
強烈な猛反対を受けましたが、
全て無視してグローブをはめました。

今思えば、この時が人生ではじめて自分がやりたいことを自ら選んで行動に移した瞬間でした。

在学中にアマチュアで12戦し、
大学卒業後にプロボクサーライセンスを取得

そのままプロでは試合せずにボクサーを引退し、
一度秋田へ帰郷

帰郷半年後にキックボクシングに出会い、
見事にどハマり

コロナ禍で思うように練習ができないと思い、
拠点を東京に移し、キックボクサーとして活動

2022年、プロキックボクサーとしてデビュー

そして拠点を秋田県に戻し、
現在に至る

というのが大高のルーツです。

幼少期に1番感じていたのは、
自分の弱さへの失望感でした。

大人からの暴力や理不尽に対して何もできない自分に、日々イラついたり落ち込んだりしてました。
(子供なので、今思えば当たり前ですが)

「どうして自分はこんなに弱いんだろう」
「大人より自分が強ければこんな思いをしなくて済むのに」

そんなことを考えながら過ごしていた記憶があります。

大人になった今でも、
当時の自分が心の中にいる感覚があります。

心身ともに消耗して落ち込んでいる少年だった自分と向き合いながら日々生活しています。

「お前は弱くないぞ」

「大高悠偉は強くてカッコいいヒーローなんだぜ」

当時の自分に胸を張ってそう言ってやれるようになりたい。

あの時自分がなりたかった

そういう大人が側にいて欲しかった

強くて優しくてかっこいい男になる。

それが闘う理由です。






おまけ

もし溢れんばかりのお金を手に入れたなら、
家に居場所のない子供達が逃げてこられる場所を作りたいと思ってます。

今のところそれがトー横キッズみたいな感じで、
家出して誰にも頼れない子供たちが、非行や闇社会に手を出してしまう流れが多いと思います。

当時の自分はたまたま運が良かっただけで、
一歩間違えれば、どのような道の踏み外し方をしてもおかしくない精神状態でした。

大人のせいで子どもたちの未来が壊れるなんて
クソ喰らえです。

無責任な大人がこの世からいなくなることを
心から願ってます。

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