見出し画像

ありがとうございます


 幼い頃のことはほとんど覚えていない。
 二歳児の頃、誕生日が一年に一度だという説明を受け、あえて「一年に」という部分だけ飛ばし「私は永遠に二歳なのか」という変なジョークを母親に飛ばしていたことは妙に覚えている。あとは顔が可愛くて好きだった当時の友達とか。

 それから、本が好きでした。絵本を読めとせがみすぎて母親に呆れられました。
 字が読めるようになれば本の虫になりました。ゲームと本のせいで視力が下がり、学校の先生に笑われました。

 その他はもう、何歳の頃かも分からない空想ばかりで記憶と呼ぶに値しないものばかりだ。

 それで立ち行かなくなったのは、他人の私に対する嘲りと嫌悪を明確に認識したのは、それに耐えきれなくなったのは、いつだったか。

 私は生まれてこの方、ずっと他人からの精神的干渉を受け付けないのだと思う。
 無知で考えも足りない私には、だからといって他人を拒絶しようという発想もなかった。
 それは見事なまでの「ひとりで平気」という知覚異常だった。
 他人を分からないゆえに、分かられるのも嫌だった。他人は私を分かるふうな口ぶりで語るくせに、私の分かられることへの拒絶を理解しなかった。

 ひとりで平気という知覚異常は私の中に世界を作った。
 私の内部の世界の人間は私を認識せず空想の域を決して出なかったが、私の嫌がることもしなかった。

 その知覚異常を他人がどう感じていたかは知らないが、恐らく私は社会に属する人間にとっておおよそ不快な存在であり、事実私の知能や情緒的な成長はひどく遅れていた。

 周りに劣っていると言われたので劣っていると思うことにした。
 劣っていると言うのだから周りは私より優れていると判断した。

 いずれ学生の肩書きも取れる頃に私の記憶が欠けるのは病気のせいだったと言われた。

 私はひとりで平気だったから他人に自分を知ってもらおうということをしなかった。
 他人に知ってもらおうという気がなかったから他人を知ろうともしなかった。
 そうやってどんどん他人とコミュニケーションが取れなくなっていった。
 でも私はひとりで平気だったからそれがどれだけ人生において不利になるか自覚しなかった。

 おそらく私は詰んだのだろうと思う現時点になって、自らの子供の頃をそういうふうに回想する。
 誰を責める気もない、自己嫌悪も当時より薄い。私は知覚異常の病人だったから仕方ない。周りは正常な人だったから悪くない。

 今まで、誰から死ねと言われても頑なに死ななかったから、これからも他人からの命令で死ぬことはないと思う。

 詰んでいるというのは「もう夢見たようなまともでちゃんとしたヒトにはなれない」という話で、社会福祉がある以上私のようなやつにもある程度のセーフティネットが与えられている現代日本には感謝している。

 本当に。
 今まで関わったどなたにも感謝しています。
 殺さないでくれてありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?