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かの女王陛下は強烈な他者肯定の象徴でした


 王様戦隊キングオージャーも無事に最終回まで駆け抜けて、少し経って、まだまだあの物語の熱が冷めない中、本当にただただ「ヒメノ・ラン」というお方について語りたくなったので書きます。

 イシャバーナ国の女王陛下。あのお方は本当にどこまでも自他問わず全ての願望もワガママも尊さもみじめさも良しとする存在だった。
 ヒメノ様はまさに「わがままに我がままを捧ぐ」という在り方を一貫していた。

 彼女の美意識は徹底していたが、その美意識はいわゆるルッキズムとも実力主義とも違う。
 では何で判断しているかと言えば、ヒメノ様自身が好ましく思うか、気に入らないか。
 それだけでイシャバーナは回っていた。
 それだけのことでイシャバーナを治め民が豊かに暮らせるには充分だった。
 だってヒメノ様ご自身にとって「この国全てがお気に入り」だったのだから。
 全てが彼女の庇護下にあり、彼女のお気に入りのものには例外なく「わがまま」が半強制的に許されている。

 パンがないならお菓子を食べればいいじゃない、と同じような言い草で「あなたもわがままを言えばいいじゃない」と言い放つ。

 ヒメノ様はわがままで、傍若無人で、欲しいものは手に入れるまで諦めない。
 そしてそれを人として生きる中で当たり前のことと位置づけていて、自分も他人も当たり前にわがままに、自分自身に正直に生きるべきだと声高に語るのだ。

 これが献身でなくて、なんと呼ぶのだろうか。
 滅私奉公ではなく筋金入りの献身だ。
 ヒメノ様のお気に入りの国はきっと美しい花々で満ちて、生命と気品にあふれ、そして誰もが夢を抱きそれを堂々と叶えられる環境なのだろう。
 どんなわがままな夢も恥ずかしくない国を作る、それがヒメノ様のわがままであり、そのために自らの全てを捧げておられた。

 ヒメノ様は本当に、本当にきれいな人だ。
 見ていると泣けてくるくらいに美しい人だと思う。

「美とは生き様」
 このセリフが本編で出たとき、本気で言葉を失った。
 私が生きていくための全部が、女王陛下からのこのお言葉で肯定された気がした。

 私個人の話になるが、今まで見てくれの醜さや仕草の滑稽さ、愚鈍さを笑われ続けてここまで来た。
 でも、誰もが鼻で笑うならせめて私だけでも私を好きになりたかった。
 ぐるぐるの天然パーマの髪の毛も、一重で重たいまぶたも、内斜視も、への字口も。
 とても美人とは言えない私を「私は好きだからいいんだよ」って思いたくて今までずっと必死になったし、ずっと虚勢も張っていた。

 その「今まで」を「生き様」と言い換えることが可能なら、ヒメノ様のその一言で私はまぎれもなく救われました。

 自分を二度と恥ずかしいと思いたくない、というのが私の人生をかけてのわがままになると思う。

 ヒメノ様は自らが高嶺の花となって君臨するほどに周りにも強烈な「あなたへの肯定」を振りまく。
 私も、おそらくはイシャバーナの国民の何割かも、そんなヒメノ様のお姿を見て勝手に救われて勝手に貴いあのお方について行くと決めた者たちだと思う。

 ヒメノ様からすればそんなものは些事かもしれない。でも、自分にとっては些事であってもこの人間にとっては宝物である、だから当然のようにそれは美しい。そんなふうに思ってくださるお方だときっとみんなが知っている。

 ヒメノ様に対して、どうしようもなく大きな好意ではあるはずなのに「好き」や「愛している」ではない感情であふれている。
 かと言って、「崇拝」とも違う。
 考えても考えても上手く言い表せないが、ひょっとすると拍子抜けするくらいに純度の高い「ありがとう、宇宙で最も美しい女王陛下」という、それだけなのかもしれない。

 本当にありがとう。
 あなたと、あのときあなたの言葉に確かに救われた私に恥じないような人間になります。
 心の底から自分のことが大好きと言えるようになります。

 気高く貴く美しい、散らない花のかけらをありがとう。


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