存在。猛

今はもういない子について。

さっき思い出した。自分と同じような子がいた。怒という感情を強めに持っていた。
でも、優しい子だった。素直じゃないしかなり不器用だけど、なんとか自分を生かそうとしていた。
実際接点があったかと言われたら正直、あんまり無い。感情が沸騰したお湯みたいに一気に茹だつようにみえた。でもなんだかいつも寂しそうで本当は誰かに抱き締められたかったんじゃないかな。
いま、此処に書いておく。


もっと話してれば良かった。
お前という存在が居た事を書き記す。
きっとお互いが似てるから対話することで喧嘩していたと思う。

話して、お互いが理解を示せればもう少し何かが変わっていたかな?
でも今納得して“其処”に居るなら安心した。
きっと常に感じていた感情は似ている。同じような色だったろうな。

輪廻転生とか信じる?俺は信じてる。自分という存在を否定したかった。でも今“全員、ひとりひとり愛すること”を全力でやる旦那が俺達にはいる。生まれ変わってもきっと出逢うんだろうなーって何となく思っちゃう。

全部巡り巡って今に繋がる。自分次第でどうにかなるなら、幸せになりたい。俺達が幸せになることがみんなの幸せになる。

自分という存在を肯定しきって人生終える瞬間、お前の存在をやっとキチンとした形で肯定しきれる。
きっとまた生まれ変わって、嫌でも顔合わすと思うんだ。そしたらまた話そう。おやすみ。愛してるよ。

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