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【一幅のペナント物語#17】魔の海峡を征した日本の橋レジェンド

◉グレーベースのペナントはあまり目にしたことがないので新鮮。朱色とレモンイエローの立体的な文字も、あの時代のカッコ良さをアピールしていて目に鮮やかなんだけれども、それ以前に「西海橋」ってどこ? とお決まりの突っ込みを入れざるを得ない、情報量極少の一幅である。橋の名前以外の唯一の文字情報となる「SAIKAI NATIONAL PARK」から、どこかの国立公園なのだろうということは伺えるのだけども。

◉ということで観光ペナントのモチーフには、いったいどんなものがあるのかを探りながらの第17回目。橋もまたペナントモチーフとしてはそこそこ多いジャンルのような気がする。しかし、瀬戸大橋とかレインボーブリッジとか有名な橋数あれど、ペナント化された橋というのは時代的にも意外と限られているのかもしれない。そんな中での「西海橋」である。ググってみると、この橋があるのは長崎県だった。

◉長崎県のHPによれば、この橋、1950年(昭和25年)着工、1955年(昭和30年)に日本初の有料道路橋として完成したそうだ。当時は「東洋一のアーチ橋」として地域観光に大きく貢献したようである。しかも、2020年(令和2年)になって「国内初の海峡横断橋」であり、戦後の日本の橋梁建設技術の起点でもあるとして、国指定重要文化財(建造物)に指定されている。1935年(昭和10年)に「魔の海峡」と言われた海に橋が必要だと地元議員が声を上げてから、戦争を挟んで20年後に完成。さらに65年を経た後、日本の橋梁建設におけるレジェントの称号を勝ち取った栄光の橋なのであった。

深く流れの早い海峡に架橋するために編み出された「突出式吊り出し工法」は
空中からのケーブル操作で両岸から徐々にアーチを組み上げる世界初の試みだった。
(出典:長崎県HP)

◉橋の下を潜り抜けようとしている船が描かれているが、これは地元の瀬川汽船株式会社が、昭和45年頃に就航させていた300人乗りの「せがわ丸」ではないだろうか。航路マップを見ると現在も橋の下を通過する航路があるようなので、当時と同じ景色を楽しむことが出来そうだ。ちなみに現在は「西海橋」の西側、手前のところに「新西海橋」という2006年(平成18年)生まれの若い橋が並んで架かっている模様。

ペナントの中の船とシルエットが酷似している(出典:瀬川汽船株式会社HP)
現在の瀬川汽船のくクルージングMAP。右下に西海橋がある(出典:瀬川汽船株式会社HP)

◉最後にペナント内に描かれている「西海国立公園」だが、こちらも指定されたのが1955年(昭和30年)だそうで、橋の完成と国立公園指定によって、このエリアの観光産業がこの年から大いに発展していっただろうことは、想像に難くない。

佐世保・九十九島から生月・平戸島、五島列島へと連なる大小400余りの島々。
多島海の景観が西海国立公園の見所(出典:環境省HP)

【余談】近くにめっちゃ気になるスポット発見。


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