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【出逢ってしまった人たち#3】ペナントはどのようにして子ども部屋にやってくるのか?

僕と同じように、ある日不意にペナントと出逢ってしまったピープルが、Web上にぽつりぽつりと居ることを知りました。とはいっても、そんなに大勢ではありません。その貴重なペナント・エンカウンターの皆さんのブログを拝読しながら、その驚きや感動など多様なココロの動きを行間から受け取って「そうだそうだ」と味わいたい!という企画がこの「ペナントに出逢ってしまった人たち」シリーズです。※これまでに発見したものの中からブログの投稿日が古いものから紹介します

◉第3回の主人公に選ばせていただいた、東北・宮城にお住まいのおだずまジャーナルさん。今から18年前の2006年(平成18年)2月のバレンンタインデーの投稿で、地元の泉ケ岳スキー場のロッジで見つけたペナントに触れておられます。

ちょうど座った席の脇の壁に、泉が岳のペナントが張ってありました。懐かしい、あの三角形の観光ペナント。色違いで4パターン。颯爽としたスキーヤーの図案。

『おだずまジャーナル』2006年2月14日「懐かしい観光ペナント全盛の時代」より

このときにブログ主さんが出会ったという泉ヶ岳のペナント、ネットで探してみましたが、それらしいものは見つかりませんでした。しかしながら、同一デザインで4色もカラーバリエーションがあったことや、メインのモチーフは安定の”颯爽としたスキーヤー”であったことなどが伺えます。スキー場のお土産として4色もカラバリが存在していること自体、当時のペナント人気を思わせます。そしてそれがヤフオクやメルカリなどで現在出回っていないのが、ペナントの栄枯盛衰を現しているかのようです。

◉昭和のあの頃に、ペナントとはどのような扱われ方をしていたのか、というあたりがブログ主さんの書きこみから見えてきます。

私も小学生の頃は部屋のカモイに画鋲で貼り付けました。あと何枚かで部屋を一周するくらいでした。ウチの場合は、近県の「山」とか「何とか高原」がほとんど。祖父や父母やおじさんたちが何かの観光で行ったときに、子どもに買ってくれたものだと思います。だいたい色違いの何パターンかあって、兄と分けて貼ったものも。

『おだずまジャーナル』2006年2月14日「懐かしい観光ペナント全盛の時代」より

やはり、多くの方が懐古しているように、子供部屋がペナントの主な生息地になっていたようです。そして子どもたち自身が修学旅行などで買うだけでなく、大人たちが自分たちの旅行の際に、子どもへのお土産として買い求めたことで、子ども部屋に増殖していったのかもしれません。兄弟で分けさせる意図をもってカラバリで買う、というのは「なるほど!」と思いました。2,3枚買っても金額的にはしれていますから。昔は兄弟も多かったですしね。加えて、自分たち自身が行った記憶がない場所のペナントは、そんなに思い入れも持てないので、引っ越しやなにかの機会で手放す人が多いのでしょうね。

◉ブログ主がこの日、娘さんと訪れたのは「泉ヶ岳ロッジ」と書かれているのですが、このロッジ、2011年(平成23年)の東日本大震災の際に、老朽化が進んでいた建物にダメージを負ったことで取り壊されてしまったようです。東北のあちらこちらに同じような理由で姿を消した施設などがたくさんあるのでしょう。直接的な被害を被らなかった人たちにとっても、想い出の場所を失うという心の被災に見舞われている人は多いのかもしれませんね。

◉そんな"仙台市民の憩いの山"とも言われている泉ヶ岳ですが、今年は雪不足のために予定よりも早め、奇しくもブログ主さんが18年前に投稿された2月14日にスキー営業を終了したというニュースを見付けました。

今年はなんだか首都圏あたりに雪が降るニュースが多い気がしますが、うちの地域も含めて、雪が少ない印象ですね。「カメムシが多い年は豪雪になる」なんて聞いていましたが、そうでもないようです。


【おだずまジャーナルさんへ】できるだけ投稿者の許可をいただいておきたいと思うので、コンタクトをしようと思いましたが適切な術を見つけられませんでした。もしこの記事を見かけられたら、大変恐縮ですがコメント欄に一言いただけると幸いです。よろしくお願い致します。 

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