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【一幅のペナント物語#44】1400年前から多様性バクハツの聖地だった

◉どっかの議員さんが牛歩しているのを久々に目にして、そういえばと引っ張り出してきた「善光寺」のペナントを紹介しよう。観光地としてはメジャー過ぎるくらいメジャーな信州・長野の名刹。ペナントになっていないほうがおかしい、そんな場所である。特徴的なシルエットの本堂を包み込むように「信濃では月と佛とおらがそば」「牛にひかれて善光寺詣り」の文字がプリントされている。後者よく聞くフレーズだが、前者は耳覚えがなかったので調べてみると、日穀製粉株式会社さんのHPに紹介してあった。

この句は小林一茶の作だと思っている人が多いですが、実は明治末期、柏原の中村某氏がつくったものです。あまりにできばえがよいので、長い間一茶の作品だと思われてきたのです。

日穀製粉株式会社HP「日穀製粉のそばの国だより」第4話より

◉一方の「牛に引かれて善光寺詣り」のほうは、その昔、欲張りで信心薄い婆さんが川で布を洗濯してると、一頭の牛が現れて角に布を引っかけていってしまったので「もったいない!」と牛を追いかけてたら、日が暮れた頃に善光寺に着いてしまい、仕方なく本堂で夜を明かすことに。その夜、夢枕で如来様に不信心を諭された婆さんは改心して、善光寺参りをするようになり、最期は極楽へ往生した、というお話。

いいなあ、こういうホンワカ日本昔話。

◉今回知ったのは、善光寺というお寺が非常に特殊な場だったということ。

特徴として、日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられている。また女人禁制があった旧来の仏教の中では稀な女性の救済が挙げられる。そのため、江戸時代には女性の参詣者が非常に多いという特異な現象があった(昔、女性の旅行者はまれだった)。また、善光寺参詣で得られるのは現世利益ではなく、死後の極楽往生だった。身分も男女も善悪も問わず、どんな人でも必ず極楽往生できる、という善光寺の特色が、全国から人々をひきつけたと言える。

とWikiに書かれているのを読んで、お蔭参りと呼ばれるように伊勢神宮への参拝は「おかげさま」を感謝するためである一方で、善光寺参りは「どんな人でも分け隔てなく極楽往生できる」という願掛けがその目的だったと知った。同じ全国区でも、そこに向かう人々のモチベーションは全然違うところにあったのだ。

◉まさにそういう意味で、善光寺は「多様性バクハツの仏教のメッカ」だったということじゃないか。国も人種も宗派も関係なく、男女の性の区別もなく、貧富の差も身分の差も関係ない。人である以上誰でも同じ、それを実感できる場所、それが善光寺だったというわけだ。いやはや、すごいな善光寺。境内にはいろんな面白そうなモニュメントやスポットがあるみたいだし、ちょっと参りに行ってみたくなった。どっかから牛が現れて、僕のシャツの裾でもひっかけてくれないものだろうか。

◉そうそう、ペナントの右さきっちょの絵も気になって調べた。結構歴史の古い民芸品かと思ったのだが、1961年(昭和36年)生まれの「鳩車(はとぐるま)」というおもちゃだそうな。詳しくは以下のJA長野県さんの記事を見てほしい。今でも人気のお土産だそうだけど・・・。

ただ、その一方で1837年(天保8年)に守貞漫稿という人物の残した随筆の中に紹介されている「鳩車(きゅうしゃ)」と呼ぶおもちゃもある。さかのぼれば、まあ、これが元ネタなような気もするが、真相は如何に?

鳩車(出典:精選版 日本国語大辞典精選版より)

鳩がらみで、善光寺の面白いネタも見つけたので置いておく。


【余談】記事ストックが全て公開になってしまったので、慌てて何本かを書こうとしているのでありました。

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