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【一幅のペナント物語#10】岬のさきっちょにはドラマが待っている

◉黒潮砕ける「足摺岬」って旅情溢れていいなあ。ペナントには文字通り荒波砕ける断崖の上に立つ、国内でも大きい部類に入る高さ18mの足摺岬灯台と、岬周辺に群生する椿の花、そしてデザインが特徴的な足摺海底館の海中展望塔が描かれている。左下には「NATIONAL PARK ASHIZURI」の文字があって、このペナントが1972年(昭和47年)10月以前に作られたものだということを示している。足摺国定公園は、その年の11月から足摺宇和海国立公園とその名を変えているからだ。

◉ビビッドな色合いもまたペナントの魅力だ。実際には4色くらいしか色は使われていないが、効果的に散らされたラメも相まって立体的に見る者を引き込んでいく。そしてこのペナントのように、時折、地図が取り入れられているものがある。今回は、足摺国定公園に指定されていた範囲が地図になっているようだ。往々にして、ペナントの地図は、この歪な三角形に収めるために無理めなデフォルメがされていることが多いが、今回もまたしかり。それでも周遊旅行をした後に、このペナントを眺めながら「ここにも行った、あそこではあんなこともあった」等と思い出話にも花が咲いたのだろう。

◉岬という場所は、なぜか人の心を引き付ける。海という場所そのものが、人が生まれた場所であるゆえに、そこに還ろうとするのか。失恋した若者が静かな波が寄せては返す砂浜に来る一方、岬には世間の目をはばかりながら愛を交わしてきた男女が、その決着をつけにやって来るイメージがある。完全に僕の個人的主観だけれど、どれもこれも船越英一郎さんや片平なぎささんのせいな気がする。

◉そもそも「足摺」という言葉には「悔しくて地団駄を踏む」という意味があるらしい。その昔、エラい坊さんと弟子がここを通りがかったときに、空腹の修行僧に姿を変えた菩薩様が現れる。自分の食べ物をわけ与えてくれた弟子に心を打たれた菩薩様は、彼を天界へと連れていく。ひとり残された坊さんは悔しさのあまり足摺った、という言い伝えが残っている。てっきり、許されぬ恋や叶わぬ愛に泣いた男女が地団太を踏んだのかと思いきや、信心が足らない坊さんの話でがっかりだ。

◉それにしても昭和の未来感ただよう海中展望塔は、本当に魅力的なデザインである。足摺海底館自体は1972年(昭和47年)の1月1日にオープン。日本で4番目にできた海中展望施設で、川崎重工製、加古川から船で運ばれて設置されたのだそうな。開館当時のコンセプトが「下駄ばきのままで海中散歩」(笑) 下駄って凄いなあ。2022年(令和4年)には、なんと国の登録有形文化財に。いつまでも残って欲しいものである。

昔の少年雑誌の「未来の~」とかに出てきそうなデザインがたまりません

◉ちなみに地図の中にひっそりと書かれている「覗岩遊園地」も気になって、今はどうなっているか調べてみたら、すっかり廃墟になってしまっているようで、時の流れの残酷さを思い知らされる結果に。


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