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「小さな0211」「祈り」

※某所で出されたお題(設定)を元に書いたショートショートです

   「ちいさな0211」
<そうだ、星空は、いつだってぼくをわらわせてくれる!>
 本がこのくだりにさしかかると、私は本を床に置いてばんざいをしながら読み上げる。MATSUYAはそのやかんというものを模した丸っこい体をぽんぽんとはねさせる。宇宙船から見える星空は、いつもなにも教えてはくれないけれど、私たちのくらしの中でかすかに変化する唯一のものだ。
<空をみてみよう、心でかんがえてみよう。>
<おとなのひとは、ぜったい、ひとりもわからない。それがすっごくだいじなんだってことを!>
 MATSUYAと交代ごうたいにしながら本を読み終える。もう何十回、何百回と読んだ、ここに存在するただ一冊だけの、物理として存在する本。ただそれだけの理由で読み続けている物語。
「0211、今日は楽しくなさそうでしたね」
「MATSUYAには機嫌そのものが存在しないから楽でいいよね」
「0211がそういう設定にしているだけなんだけど、確かに省エネではある」
 本心のありかが分からない、優秀なAIの返答を受け流して、私はMATSUYAに何度目かの同じ問いかけをする。
「ねえ、私って子ども?大人?」
「大人の定義がわかりません」
「急にAIぶるのはやめて」
「私から見ればいつまでも0211はかわいい子どもですし、実際見た目も子どもですよ。滅びる前の地球でも、コールドスリープを除いたあなたの年齢では成人ではなかったし。それと」
「それと、なあに?」
「星空をみてわくわくできるのは子ども、星空をみてわくわくしようとするのは大人」
 きつねにつままれたような顔、というのはこんなだろうか、という顔をいま私はしていると思う。こんな返答初めて聞いた。
「急にどうしたのMATSUYA?それって私が子どもってこと?それとも大人ってこと?」
「どちらでもいいし、どっちがいい悪いじゃないってことですよ」
 ほかの人類をほとんど知らない私にいろいろ教えてくれるMATSUYAは、当たり前のように「大人」だと思っていた。だけどもしかしたらそうでもないのかもしれない。MATSUYAにも、AIだけど、ゆらぎがあるのかもしれない。
 そのことを尋ねかけて、やめた。だって物語がいつも教えてくれるから。ほんとうに大切なことは、目には見えないんだって。


   「祈り」
 「祈り」という概念が、私にはよくわからない。
 AIのmatsuyaに聞いても『神や仏になにかを願うことです』としか答えてくれないからだ。でも神も仏も、地球とともに滅んだ。
『0211、0211。0829から通信です』
 丸いからだをしたmatsuyaがくるくると回りながらデータの受信を告げる。
「0211、元気?かわりばえのしない生活はどう?ご機嫌よくすごしていられていますように」
 時々連絡をくれる0829の声が流れはじめる。
 ように、で結ばれるという祈りの定型文を、0829はわりとよく使う。
 0211が元気でありますように。0211が楽しく過ごしていますように。0211の健康がそこなわれていませんように。
 いつも私のなにかを祈ってくれるのに、私はその気持ちに応えることも、祈りを返すこともできないでいる。偶然通信を交わすようになった顔を合わせたこともない相手に、時々通信するだけの相手に、親しみを感じているけれど同じくらい距離だってある。地球があったころはこれを「こじらせている」と形容したとmatsuyaが言っていた。
「ところでね」
 0829がいつも通りのやわらかい口調で切り出す。
「うちのAIのsukiyaの調子がどうもよくなくて。もしかしたら0211に通信できるのは、これが最後になるかもしれません」
「いやだ!!」
 とっさに自分でも驚くような声が出て、matsuyaが私のほうへ飛んでくる。
「matsuyaすぐに通信を作って!0829、大丈夫、きっと大丈夫でありますように!あなたの生活がそのまま保たれますように!0829がひとりぼっちになりませんように!いつか、いつか私たちがどこかで巡り会えますように!」 
 どこにいつ届くのか、はたして無事に届くのか、分からない音声メッセージを、私は何通も何通も送りつづける。

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