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#スケッチ_鈴鹿峠とヤマビル

この前、鈴鹿峠を走って越えた時、ヒルに足を吸われて嬉しかった。靴の履き口に違和感を感じて見てみると、ナメクジのようなぬらっとした生き物が靴の端に見えた。
反射的にうわっと驚きながらも、ミミズ? ナメクジ? と単語が頭に浮かんで、いやいやこれがヒルかと納得した。
その日は平地でも朝から曇り空で、家から見える鈴鹿山脈は雨雲に覆われていた。雨も降っていることがわかった。それでも基本的には1号線に沿った歩道を走る予定。復路は亀山市関町の観音山、筆捨山を経由するが、雨雲レーダーを見ると降ったり止んだりで、とりあえず行ってみようと思った。
だから「道の駅つちやま」に車を止めて、走り始めた時から、空気はずっと湿っていたし、雨もざっと降ったりパラパラ降ったり、晴れ間が見えたり、そんな感じだった。生きているのか死んでいるのか道端にたくさんのミミズがいた。晴れた日に田んぼ沿いの道を通るとミミズがたくさん干からびていることがある。干からびたミミズが雨で戻ったのだろう。だから死んでいるのか生きているのかわからない。ミミズにとっての死とは何か、ミミズにとって生きるとはどういうことか。
ヒルを払ったあと、じっくり観察することもなく、私は先を急いだ。観音山と筆捨山のアップダウンが予想外に辛く、疲れはじめていた。山歩き、山を走りたくて、居ても立っても居られなくなると山に行くが、ふだん平地ばかり走っているから、やっぱり後半は辛くなる。ちょうどいい苦労なんてない。あるいは、爽快だったり、めちゃしんどかったり、少ししんどかったり、いろんな時がある。
また私は山が怖い。山にいると怖い。そこに生えている木は高く、何かに見られているような気がする。なぜひとりで山にいると怖いのか。単に私が臆病なだけなのか。何かが私を見ているような気がするとはどういうことなのか。恐怖はどこからやってくるのか。反対に恐怖を感じないのはどんな時か。山にいると怖いのは、そこが人間のテリトリーではないからではないか。
ヒルを払ってから1時間ほどかかってスタート地点に戻ってきた。サンダルに履き替えた素足から拭っても拭っても血が垂れてきた。ヒルに噛まれるとなかなか血が止まらない、ということは知っていたけれど、じっさい噛まれて血が止まらないのを体験できたことが嬉しかった。血は、帰宅してシャワーを浴びた後も止まらなかった。
ヒルの唾液にはヒルジンという血が固まるのを抑える物質が含まれている。ヒルジンは血液の凝固に関わる幾つものファクターのうちのひとつの働きを抑制する。血液は簡単に固まってしまってはいけないので、ファクターが一つひとつ順々に作動する。その中の一つが機能しなくなっただけで血が止まらなくなる。
体の機能が正常であれば血液が止まるであろう時間を大幅に越えても出血が止まらない。人体の大きさに対して少量の物質でそんなことが可能になるという事実は、薬剤が人体に及ぼす影響について私に考えさせた。

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