朝活を開き続ける

「打ち解けない性格なので人を心地よくおもてなしできない。」と、別のところに書いていて、そういうのは改善しなければならないとずっと思い込んでいたのですが、ふと、そうじゃないような気がした。

子供のころは、友達の家に行き、特に会話が続くわけでもなく、そばにいても別々に、漫画を読んだり、ゲームをしたり、宿題をしたりして、時間が来たら帰る。みたいなことでも「遊んだ」と思っていたのではないだろうか。現代風にいえば時間を共有したことに何らかの充足を感じていたのかもしれない。

いまは会話もしないで過ごすということはないけれども、かと言って派手な事もしなかったのに、何年も先に、あの頃のような薄口の充足感が思い出されるような場を、朝活で作りたいのかもしれない。

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