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印地打ちについて。

印地打ち、一般では聞き慣れない言葉だが立派な武術、投擲(とうてき)武術である。
投擲武術には棒手裏剣なども含まれるし、ダガーナイフなどの投げナイフも投擲武術である。場合によっては脇差し、家庭内の包丁、カッター、ハサミなども、立派な投擲武術になりうるのだ。
だが印地打ちはもっと簡単に手に入る、小石が主な武器となる。専門的に言えば、石礫(いしつぶて)だ。または事前に用意した殺傷力を意図的に上げた鉄礫(てつつぶて)が印地打ちには用入られる。
古来、平安時代頃から、1月の正月と5月の端午の節句に、季節行事としてこの印地打ちがあった。AとBという地区が仮にあったとして、印地打ち(つまり石の投げ合い合戦)に、A地区が勝つかB地区が勝つか、勝った地区のほうが豊作になる、といった具合である。当然、荒っぽい行事のため、死傷者が少なからず出た。そのため近年までに何度も行政が中止にしてきた歴史がある。しかし川を挟んでの石投げ合戦などの行事として、または子供たちの遊びとして(いじめなどは除く)、何度も復活しているのが、この単純に石を投げるという印地打ちなのだ。

私はこの度、今までやってきた棒手裏剣の修行を一時中断し、今年からこの印地打ちに切り替えようと思う。その理由は一つ、より実戦を念頭に置いた鍛練をするため、そしてもう一つが、こちらの理由のほうが大きいのだが、棒手裏剣をしているとまずハットリくんが使うような車手裏剣と間違われることや、やれ忍者などの真似事だとからかわれるからだ。
棒手裏剣と車手裏剣で言わせてもらうなら、棒手裏剣は前述したナイフやハサミなどや、お箸などでも代用が利く。だが車手裏剣ではどうか。車手裏剣は車手裏剣を持ってこないことには、戦いにならないのである。さらに手の込んだ細工や造りの高価な重い車手裏剣をわざわざ敵に投げる馬鹿はいないだろう。私が敵なら「ありがとう」である。所詮は車手裏剣はスポーツ、お遊びであって、殺傷力とは程遠いのだ。
あと、手裏剣や鎖分銅を稽古していて、すぐ「忍者」というのもやめていただきたいのである。私が住んでいる滋賀県は甲賀忍者の里であり、私が講師をやっている武術団体も甲賀護身の会という名であるから、すぐ「忍者」となるが、世間で言われている黒装束の忍者など、過去には存在しなかったファンタジーである。忍者は農民であり、高価な武具など持っていないのだ。私のいう手裏剣や鎖分銅は下級武士の隠し武器である。

今回、印地打ちを取り上げたが、この「印地打ち」、検索にかけるとタイプライターの「印字打ち」と間違われ、更には、「印地」の「印」で漫画のナルトの印結びが出てくる始末であった。そりゃあ、印結びでリアルに何かを召喚して自分の代わりに戦わせられるなら、武術家にとっては夢のような話であるが、現実は自分の五体と隠し武器や秘武器しか身を護る保証は無いのである。

今回の画像の鉄礫、実は印地打ちに代用はしているが、17mmのベアリングのSUS304ステンレス玉である。
焼の入った本格的な鉄礫も、あるにはあるのだが、車手裏剣の説明でも書いた通り、極論、投げ捨てるようなものを高価にする意味はないと考える。それは鎖分銅も同じ、武具は「必要」を「形」としたものなので、無骨でも役に立つ無骨なら良いのである。

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