春の大会もベスト16まで勝ち進んでいた。 相手の公立高校は、 甲子園へ春4回、夏6回出場しており、優勝の経験もある。 地元では強豪だ。 まだ先輩たちの名前もわからないまま、 応援をしていた。 接戦になるのかと思ってみていた試合だったが、 序盤から得点を重ね、3年生のショートを守っていた先輩のホームランなど、終わってみれば 1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 0 3 2 0 0 1 0 0 1 7 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 7対1の圧倒的な勝利であった。
この先2年半同じ目標を持ち競い合っていくメンバーには、いろいろな選手がいた。 約半数の選手は、推薦をもらっての入部であった。 28人中14人が投手 13人が内野手 外野手での入学は1人だけだった。 外野手の彼はもうこの時点でスタメンをイメージしていたのかもしれない。 すでに180センチ80キロ以上が4人もいる。 実際僕らの学年は高校3年生の時の、平均身長は 178センチだった。 やはりレベルは高かった。 それでもなんとかベンチ入りできるように、 切磋琢磨していく、2年
春休みになると、高校の練習に参加するようになっていた。 28人同学年の野球部のメンバーだ。 夏に準優勝しただけあり、県内の中学校野球では、 有名な選手も入学をしていた。 28人。 高校野球のベンチ入りメンバーは20人だ。 もう8人はこの中だけでもスタンドで高校野球が 終わるそんな想像をしていた。 各学年30人ほどおり、3学年では90人を 超える部員数の高校だ。 先輩を見てすぐに衝撃を受けた。 夏の大会決勝戦を戦っていた20人いるメンバー の中で、12人が2年生で勝ち上がっ
中学3年の夏、高校野球予選大会の決勝戦を僕は スタンドで見ていた。 その理由は、選抜高校野球大会優勝校の1番センターの彼は小学校の先輩を応援しにいっていたからだ。 試合は序盤から優勢に進めて行き、気がつけば5回 終了時点では10対0と完全に試合は決定的となっていた。 「準々決勝からギリギリの試合だったけど決勝が 1番楽に勝てそうだね。」 先輩のお母さんはホッとしていた。 誰ももう逆転なんて思っていない。 そのまま試合は終わり公立高校の悲願の甲子園への 出場はとても高い
僕がこの記事を書こうと思う理由。 毎日練習お疲れ様です。 僕は公立のその県内では強豪と言われる高校で野球をやってました。 背番号20。これが僕の3年間の集大成です。 毎日朝から夜まで練習し、恋愛もできない。 野球、野球、野球そんな日々を過ごしていました。 たくさんの仲間と目指した甲子園。 そんな話をここに残して、今の高校生に少しでも こんなやつもいたのか、 試合に出れなくて悔しい人にも、読んでもらえたら嬉しいなとおもいます。 現役時代には考えなかった考え方、取り組み方など