間に合った

高校2年の時に今の仕事がしたいと決め、大学を決めた。
大学入学から11年。入社してから7年。今の部署に配属されて2年。
前の部署にいたのが5年。そして今年30歳。

時を表す数字は怖い。感覚との齟齬が必ずあり、そしてその感覚を踏み潰す絶対的な指標。先ほど示したどの数字も、僕にとっては恐怖でしかない。

人が笑うことでしか自分の存在を肯定できない。少し前までは、そのためには手段を選ばなかった。時に人を傷つけ、嘘をつき、悲しませた。これは生い立ちに由来するという意外に説明はできない。今の妻に出会わなければ、それが間違っていると気づくのはもう少し後になったんだろうと思う。

今の仕事は、人を笑わせることができるか、面白いと思わせることができるか、というもので、それは自分の存在意義と密接、それどころか「そのもの」とも言える。

2年前、入社6年目でようやく今の部署に配属された。今の部署に配属されて、できないやつだと思われないために、前の部署ではとにかく仕事をした。やりたいと声高に言わなかったのは、いくつか理由があると思う。前の部署の仕事が楽しかったこと、今の部署の方が休みがなく体調を壊す人が多いこと、これは真実ではあるものの、核ではない。気づいているが口には出せなかった。

単純に怖かったのだ。

やりたいことをやりたいといい、実際にやることが怖かった。

萩本欽一氏が「自分は金を稼ぐために仕事をしている。だから一生懸命になれたし、よりよくしようと思えた」と話した言葉が忘れられない。
これも生い立ちに由来するものでもあるが、昔から何かをやりたい・好きだ・気に入っているということを人にバレたくなかった。否定をされたくないし、何より言い訳ができない。前の仕事は、どうせやりたいことじゃないから失敗ができた。だから転ぶことに躊躇なく走ることができた。

もし、自分に全く才能がなかったらどうしよう。才能どころか、話にならないくらい面白くなかったらどうしよう。そう悩むということは、自分で気づいていたのだと思う。自分に才能がなく、自分が面白くないことを。

ただ会社員というもの、ジョブローテーションがある。僕が密かにびびっていることなんて気づかない。志望しているならと異動させてもらえてしまった。変な日本語だ。

今の部署に辞令が下ったあの時、自分で決めたことがある。
2年経って自分の作ったもので笑えなかったらやめよう。前の部署にもどろう。
今の会社はありがたいことに給料がいい。というか残業代がまだ出る方だ。そのお金を無視して働いていいのは2年まで、自分に見込みがないのに給料だけ貰い続けるのはあまりに都合が良すぎる。そしてありがたいことに前の部署にはある程度の評価をもらっていた。やりたいことより、向いていることをやれ。YouTubeで上から下に流れてきた金持ちの起業家が言っていた。髪型と服装と喋り口調と顔が気に食わなかったが、その言葉にはなんとなく納得し、負い目を感じ続けた。

その2年がもうすぐ来る。現状の感覚で言うと、間に合った。

自惚れかもしれない、別に給料分も仕事ができているとも思わない、と言うか、ここまで書いていること全く笑えない。

それでも、自分の作ったものでは少なくとも自分は笑っている。そしてこんなに人生が楽しいと思えることはない。まだやってもいいのか?と思えてきた。

才能は多分ない、でもまだこの業界にいても良さそうな気もする。

ふわふわとそんなことを考えながら、仕事に戻る。










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