「ナッパの戦闘力4000」の歴史と、それに関連する新情報がほんの少しだけ
この記事の概要
『ドラゴンボール』で、ナッパの「戦闘力4000」という数字は、どういう経緯で出てきたんだっけ? みたいな思い出話です。
たいした内容はありません。
2023年5月発売の『三条陸 HERO WORKS』で、これに関連する新しい情報(?)が少しだけ載っていたので、その話をしたい感じでした。
『ドラゴンボール』をご存知であることが前提の記事になってしまいました。申し訳ありません。
「ナッパの戦闘力4000」の歴史
■1989年2月:サイヤ人来たる
ジャンプの発売日基準だと、ナッパが地球に来たのは1989年2月でした。
初登場は昭和で、地球に来るまでに平成になったという感じです。
ナッパは、地球戦士の戦闘力を981~1220と計測。
こいつらが「戦闘力を変化させる」ことも知っていました。
そこから、天津飯 vs 栽培マンになるのですが……。
ピッコロの戦闘力が1220だと計測したばかりなのに、戦闘力1200でビックリさせようと思ったらしいのが、よく分からん思考でした。
■1989年5月:ナッパ戦
ともあれ、3月~4月にヤムチャ・チャオズ・天津飯が死亡。
5月に悟空接近→ピッコロ死亡→魔閃光→悟空到着という流れになります。
カカロットが5000というのは、ナッパとしては認められないようです。
一方、2800の魔閃光には「おもしれー」的な反応を示しており、
ナッパとしては、2800は歯ごたえを感じる数字らしいです。
そして、戦闘力「8000以上」の相手には、ナッパに勝ち目はなさそうでした。
■1989年6月:ナッパ死亡
結局、ナッパは1989年6月6日に死亡。
ナッパのスカウター計測値は作中に登場しませんでした。
いちおう、
という感じで、たぶん4000~7000くらいだと思われます。
その範囲内のどの辺りかは、私には判断できません。
■1989年7月:戦闘力4000の登場
そいうしてナッパが死んでから、1か月後。
1989年7月4日の『ジャンプ』に、「究極戦士カード」という記事が載りました。
数字は「ブルマがスカウターで測った、だいたいの戦闘能力」とのこと。
(ベジータ戦の最中なので、ベジータは「計測不能」)
この記事で、ナッパの戦闘力は「4000」となっていました。
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