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「ナッパの戦闘力4000」の歴史と、それに関連する新情報がほんの少しだけ

※この記事は7月11日に更新しました。マガジンとしては「6月分の記事」のところ、更新が遅れてしまっており、大変申し訳ございません。

この記事の概要

『ドラゴンボール』で、ナッパの「戦闘力4000」という数字は、どういう経緯で出てきたんだっけ? みたいな思い出話です。
たいした内容はありません。

2023年5月発売の『三条陸 HERO WORKS』で、これに関連する新しい情報(?)が少しだけ載っていたので、その話をしたい感じでした。

最初は、Twitterで「7月8日なのでナッパの話をします」みたいなツイートをしようと思ったのですが、まとめられなくてnoteの記事にしました。

『ドラゴンボール』をご存知であることが前提の記事になってしまいました。申し訳ありません。

 


 

「ナッパの戦闘力4000」の歴史

■1989年2月:サイヤ人来たる

ジャンプの発売日基準だと、ナッパが地球に来たのは1989年2月でした。

初登場は昭和で、地球に来るまでに平成になったという感じです。

『週刊少年ジャンプ』1989年13号(2月28日発売)

※サブタイトルの「サイヤ人たる!!」は、2003年の『ドラゴンボール完全版』では「サイヤ人きたる!!」になっています。

ナッパは、地球戦士の戦闘力を981~1220と計測。

『週刊少年ジャンプ』1989年14号

こいつらが「戦闘力を変化させる」ことも知っていました。

※ここでベジータがスカウターを外すように指示。カカロットの接近によって再度スカウターを装着するまで、戦闘力の計測は行われません。

そこから、天津飯 vs 栽培マンになるのですが……。

14号~15号抜粋

ピッコロの戦闘力が1220だと計測したばかりなのに、戦闘力1200でビックリさせようと思ったらしいのが、よく分からん思考でした。

 

■1989年5月:ナッパ戦

ともあれ、3月~4月にヤムチャ・チャオズ・天津飯が死亡。

5月に悟空接近→ピッコロ死亡→魔閃光→悟空到着という流れになります。

『週刊少年ジャンプ』1989年22号

カカロットが5000というのは、ナッパとしては認められないようです。

※5000だとナッパを上回るのか、ナッパ自身は5000以上だけど「下級戦士の分際で」という話なのかは不明。
(「ま いいけどな」を素直に受け止めるとしたら後者寄り? 「栽培マンの戦闘力は1200だぞ…!!」みたいにノリで喋ってるだけかも知れません)

一方、2800の魔閃光には「おもしれー」的な反応を示しており、

『週刊少年ジャンプ』1989年23号

ナッパとしては、2800は歯ごたえを感じる数字らしいです。

※この描写から「2800よりどのくらい上なのか」を考察するのは、ちょっと難しいかも知れません。
(「戦闘力がどのくらいの差なら、どういう描写になるのか」は、場面によって変わるので)

そして、戦闘力「8000以上」の相手には、ナッパに勝ち目はなさそうでした。

『週刊少年ジャンプ』1989年24号

 

■1989年6月:ナッパ死亡

結局、ナッパは1989年6月6日に死亡。
ナッパのスカウター計測値は作中に登場しませんでした。

いちおう、

2800 < 超えられない壁 < ナッパ < 超えられない壁 < 8000

という感じで、たぶん4000~7000くらいだと思われます。
その範囲内のどの辺りかは、私には判断できません。

 

■1989年7月:戦闘力4000の登場

そいうしてナッパが死んでから、1か月後。

1989年7月4日の『ジャンプ』に、「究極戦士ファイナルウォーリアーズカード」という記事が載りました。

『週刊少年ジャンプ』1989年31号

数字は「ブルマがスカウターで測った、だいたいの戦闘能力」とのこと。
(ベジータ戦の最中なので、ベジータは「計測不能」)

この記事で、ナッパの戦闘力は「4000」となっていました。

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