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4話で突然終わった漫画『餓』(1970年,週刊少年チャンピオン)
※この記事は7月11日に更新しました。マガジンとしては「6月分の記事」のところ、更新が遅れてしまっており、大変申し訳ございません。
『少年チャンピオン』30号記念
『少年チャンピオン』は、1969年7月に創刊しました。
(最初は隔週で、1970年14号から週刊化)
1970年8月18日発売号で、「創刊30号」を迎えます。
![](https://assets.st-note.com/img/1720515274732-ifsqwMNDQG.png)
そして、この号で「創刊30号記念新連載!!」として始まったのが、
![](https://assets.st-note.com/img/1720515390727-iXgD1Ln1IG.png)
園田光慶先生の『餓 THE HUNGER』でした。
「創刊30号記念新連載」というのは、たぶん、たまたまこの号で始まったから書いてみただけで、さほど意味はないと思います。
園田光慶先生について
園田先生は、1950年代から貸本漫画で活動。
1963年に『少年キング』に登場してから、少年誌や青年誌で活躍します。
『餓』が始まった1970年には、『少年キング』で『赤き血のイレブン』を連載中でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1720608482760-jPWvTKvarF.png)
ただし、園田先生には失踪癖があったらしくて……。
「『赤き血のイレブン』も、作画の園田光慶が連載中に何度も失踪する事件を起こし、ついには投げ出して編集部の信用を失い、途中で深大路昇介という無名の漫画家にバトンタッチされている」
と、1971年2号以降は、「原画:園田光慶/作画:深大路昇介」みたいなクレジットになっていました。
![](https://assets.st-note.com/img/1720608613426-x3KskWZVqx.png)
『餓』
そんなこんなで、園田先生が『赤き血のイレブン』を連載中だった1970年。
『少年チャンピオン』の「30号記念新連載」として始まったのが『餓』という漫画でした。
第1話
物語は、主人公が恋人の圭子とデートする場面から始まります。
![](https://assets.st-note.com/img/1720694556902-JEnIPKMusn.png)
「つかまえたーっ」「いやーん」と、バカップルな時間を楽しむ2人。
しかし、この直後に圭子が殺されてしまいます。
暴漢たちに取り囲まれて、必死で抵抗するも、圭子が刺されてしまった……、などと警察に説明する主人公。
![](https://assets.st-note.com/img/1720613619854-V31GNpS5Aw.png)
しかし、その話は真っ赤なウソでした。
実は、コイツが殺したのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1720613890009-oH9mKFu7LH.png)
これが「物質文明の発展にむしばまれる精神性の荒廃と衰退を警告する新連載」の第1話でした。
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