『コロコロ』『ボンボン』『ケロケロA』『最強ジャンプ』の推移
はじまりのコロコロ
1977年、小学館の『コロコロ』が創刊しました。
創刊号の表紙では、『コロコロコミック』という誌名よりも『ドラえもん』の文字の方が大きかったです。
さらに、値段(320円)よりも大きく書かれている「200」「150」という数字は、掲載されている『ドラえもん』のページ数。
……という感じで、当初は『ドラえもん』の総集編が中心の本でした。
コロコロ創刊
初代編集長のインタビューでは、創刊前の状況について、次のように語られています。
と、子供向けマンガが軽視されていた時代に、完全に小学生向けのマンガ誌を作ってやろうとした……みたいな話でした。
※いちおう、『コロコロ』創刊の5~6ヶ月前の『マガジン』『ジャンプ』がこんな感じ。
コロコロの漫画
そして、1979年から『ゲームセンターあらし』が始まって、『ドラえもん』と2枚看板になります。
『ゲームセンターあらし』によって、コロコロ熱血漫画の基本形(小学生の遊びをド派手な真剣勝負にしちゃうやつ)が確立。
『釣りバカ大将』『ダッシュ!四駆郎』『ドッジ弾平』……と受け継がれていきます。
それから、ホビー系以外でも、『超人キンタマン』『おぼっちゃまくん』『学級王ヤマザキ』『でんぢゃらすじーさん』…… といった作品がヒット。
『コロコロ』はマンガとホビー情報の「子供向け総合情報誌」となって、男子小学生の世界のすべて(ゲームとオモチャとドッジボール)をリードしていくのでした。
ボンボン
そんな『コロコロ』の成功を受けて、1981年に講談社が創刊した後追い雑誌が『ボンボン』でした。
こちらは、『コロコロ』よりも先にガンプラブームに乗って、『プラモ狂四郎』をヒットさせることに成功。創刊1年で50万部に成長しました。
以降、『コロコロ』と『ボンボン』は、男子小学生界のシェアをめぐって抗争を繰り広げます。
『コロコロ』のビックリマンシールに対する、『ボンボン』のレスラー軍団シール。
『コロコロ』のベイブレードに対する、『ボンボン』のすげゴマ。
『コロコロ』のミニ四駆に対する、『ボンボン』のバクシード。
……と、『コロコロ』の圧倒的な戦力に比べて、『ボンボン』のものは大体マイナーで、買ったところでいっしょに遊べる友達がいませんでした。
90年代の『ボンボン』vs『コロコロ』
しかし、『ボンボン』の元編集長のインタビュー(『サイゾー』2008年11月号)では、SDガンダムの最盛期である1991年から3年間は『ボンボン』の部数が『コロコロ』よりも多かったと語られています。
確かに、毎日新聞社の「学校読書調査」を見ても、
小4~小6の男の子の「ふだん読んでいる雑誌」で、1993~1994年あたりは『コロコロ』と『ボンボン』の差がほとんどなかったです。
(高学年男子の「ふだん読んでいる率」が、『コロコロ』も『ボンボン』も20~30%くらい)
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