「ハレンチ」が褒め言葉だった頃の話
前置き
先月、『三省堂国語辞典』の編集委員の飯間浩明さんが、「ハレンチ」についてツイートしておられました。
そんな感じで、「破廉恥」という言葉には、次のような変遷があります。
(1)元は「恥知らず」の意味
例:「貴様は国体のいかむを解さない非義、劣等、怯奴である、国賊である、破廉恥、無気力の人外である」(泉鏡花『海城発電』1896年)
(2)1968年前後に「イカス」「カッコイイ」みたいな意味で流行る
例:「ことしの夏はハレンチルックで行こう!! 大人たちの常識を打ち破るハレンチ族の超個性的スタイルとは」(『週刊平凡』1968年5/23号)
(3)『ハレンチ学園』の流行と前後して「エッチ」の意味で使われることが多くなり、現在に至る
例:「海から来たのはハレンチ人魚姫!!? 異種族交配擬人化ラブコメディー!」(すめしお『ネノちゃんは××したい!!』2020年)
※補足:「エッチ」と「恥知らず」
「ハレンチ」という言葉は、現代のコンテンツだと、風紀委員が「ハレンチだわ!」と怒るような使い方が多いです。
これ系だと、「いやらしい下劣な男め!」という感じで、「エッチ」に「恥知らず」のニュアンスも含まれます。
そんな感じで、「エッチ」の意味で使っているのか、「恥知らず」を意図しているのか、ハッキリと分けられない用例は多いです。
※さらに補足
1970年前後の資料だと、どういう意味で「ハレンチ」と言っているのか、私にはマジでよく分からんものも多いです。
そんなこんなで、どうにも「ヤングの新語の意味が理解できないオッサン」みたいなノリになってしまうのですが……。
1968年に『ハレンチ学園』が始まった頃は、「ハレンチ」は褒め言葉だったという話をしてみます。
当時の雑誌を見る
これが「ハレンチ時代」だ!
たとえば、1968年の『週刊明星』は「カラーグラフ特集 ハレンチ時代!」という記事を掲載。
それによると、当時の若者たちのハレンチとは「やりたいことをどんどんやる。人の真似をせずカッコよく生きよう」みたいな感じだそうです。
この右足だけ下駄で左足だけ半ズボンというアンバランスの美しさが「ハレンチ」らしいです。
(当時、堺正章さんは22歳。『夕陽が泣いている』がヒットした翌年となります)
また、沢田研二さんのハレンチはこんな感じ。
私個人的には、紫綬褒章とかを有難がるよりは、この「ハレンチ」は好きだったりします。
(当時、沢田研二さんは19歳。この少しあとに後楽園球場で「日本初のスタジアムライブ」をします。『ヤマトより愛をこめて』を歌うのは10年後)
そして、山本リンダさんのハレンチはこちら。
(山本リンダさんは当時17歳、現在は72歳)
1968年は、1分50円の酸素の自動販売機も存在した時期で、その辺の感覚は令和人には理解しづらいところがあります。
……と、この時期の「ハレンチ」が何なのか、私はよく飲み込めていないのですが、とりあえず、ネガティブな言葉ではなく先端の流行語として使われていたようです。
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