見出し画像

ほそかわ春先生の70年代→80年代

この記事は5月30日に更新しました。マガジンとしては「4月分の記事」のところ、更新が遅れてしまっており、大変申し訳ございません。

 


 

前置き

ほそかわ春先生は、70年代後半~90年代前半に秋田書店・小学館・リイド社などで活動した漫画家です。

代表作は、女子プロレス漫画『キャット』(単行本全7巻)など。

『少年ビッグコミック』1984年14号

連載は多く、単行本も25冊ほど出ているのですが、『漫画家人名事典』には載っていませんでした(むぅ…)

※「ほそかわ」の掲載は、細川智栄子先生と細川貂々先生のみ。
(この事典は2003年の出版で、間違いも多いし偏っていますが、アソシエーツの「◯◯事典」なので、国会図書館では専門室の開架資料になっているのですよね…)

単行本の帯などによると、ほそかわ春先生のお誕生日は1953年3月ということで、ご存命なら現在71歳という世代になります。

※同年生まれの漫画家は、『パタリロ!』の魔夜峰央先生、『おぼっちゃまくん』の小林よしのり先生、『静かなるドン』の新田たつお先生、『聖闘士星矢』の車田正美先生など。

 

今日の話題

ほそかわ春先生は、70年代後半には『少年チャンピオン』でギャグ漫画を描いていました。

『少年チャンピオン』1977年8月25日増刊号

当時の『チャンピオン』は、『ジャンプ』に先んじて200万部を突破し、少年漫画誌のトップに立ったとされる時期。

ギャグ漫画では、『マカロニほうれん荘』『がきデカ』『月とスッポン』が人気で、

ほそかわ春先生は『がきデカ』の山上たつひこ先生のアシスタントで、こういう系統の新人でした。

なので、いま「『キャット』のほそかわ春先生」というイメージで初期作を見ると、ちょっとギャップを感じます。

『少年チャンピオン』1977年8月増刊、『少年ビッグコミック』1985年12号

見比べると、けっこう面影もありますけど……。

そんなこんなで、今日は、ほそかわ春先生が『キャット』に至るまでの流れを、ざっくりと振り返ってみようと思います。

 

1976年(23歳)

『嘆きのブービーマン』

ほそかわ春先生は、1976年6月に『少年ジャンプ』のギャグ漫画の新人賞・赤塚賞で準入選。

『週刊少年ジャンプ』1976年26号(受賞作は27号に掲載)

当時の選評は、こんな感じでした。

編集部:「才気あるものの、読者との距離に問題があるようです」
長野規さん(編集):「『嘆きのブービーマン』を第一におす。登場人物が多いわりには、個性が描けている。父と子のラストシーンも効果的だ」
中野祐介さん(編集):「亜流の感が強く、セリフにたよりすぎる点、気になる」
東海林さだお先生:「もうすこしギャグがほしい。またストーリーもなめらかにしたい」
永井豪先生:「候補作の中では『嘆きのブービーマン』がよかった。絵もギャグのこなしもうまい」

やや意見が割れた印象ですが、準入選なので、基本的には高評価。

しかし、読切が少し載った程度で、ほそかわ春先生が『ジャンプ』系で活躍することはありませんでした。

 

『小学六年生』

『小学六年生』の1977年1月号などで、ほそかわ春先生が挿し絵を描いている記事が少しありました。

『小学六年生』1977年1月号

 

1977年(24歳)

『密林教室』

それから、『少年チャンピオン』の1977年4月15日増刊号に、『密林教室』という読切が載りました。

理科の授業中に、主人公の悪ガキがクソ教師とやり合う感じ。

こういうノリで進行するギャグ漫画でした。

ここから先は

3,524字 / 26画像
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?