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『るろうに剣心』の和月伸宏先生、16歳の初投稿から23歳の初連載まで


 

前置き

最近、「コミックヘヴン」で『ビッチJKの転生先は悪役令嬢でした』という連載がスタート。

コミックヘヴン 2023年6月号

その第3話で、

コミックヘヴン 2023年8月号

と、悪役令嬢が九頭龍閃みたいなフェラチオをキメていました。

※本物の九頭龍閃

週刊少年ジャンプ 1997年1号

……という感じで、現在でも人気の高い『るろうに剣心』。

1995年8号

作者は和月伸宏先生で、1994年~1999年に「週刊少年ジャンプ」で連載しました。

1996年~1998年に、最初のテレビアニメが放送。
1999年~2001年に、OVA「追憶編」「星霜編」が発売。
その後、実写映画が成功(2012年・2014年・2021年)
2017年から、原作漫画の続編「北海道編」も連載中。

そして現在、2023年7月から再アニメ化されているところです。

 

今日の話題

と、人気作品なので、基本的な情報は広く知られていると思いますが……。

Wikipediaの「和月伸宏」の項を見てもこんな感じで、

1986年の初投稿から1994年の初連載までの8年間について、ネットではあまり知られていないみたいです。

なので、今日はその辺の話をさせてください。

※以下の話には、途中でペンネームの変わる漫画家が出てくるのですが、「西脇伸宏 → 和月伸宏」「土方茂 → 小畑健」です。

 

投稿時代

1985年

和月伸宏先生は、15歳の誕生日(1985年5月)に丸ペンをプレゼントされてから、ちゃんとした漫画を描き始めました。

そのときは、中学3年生。
「16歳になったら漫画を投稿して、本格的に漫画家になるための活動を始めよう」と思っていたそうです。(『剣心華伝』インタビュー)

そして、あと半年で16歳になるという頃……。
「ジャンプ」で、手塚賞に準入選した16歳の新人が手塚治虫先生から絶賛されているのを見たのでした。

週刊少年ジャンプ 1986年1・2号(1985年12月3日発売)

これが、のちに『ヒカルの碁』『デスノート』などを描く小畑健先生でした。

和月先生は、「同じ新潟出身で 年齢もわずか1歳年上で…」と、一方的にライバル視したそうです。(『ジャンプ流 vol.12』インタビュー)

 

1986年:初投稿作『ポドマック』

そして、和月先生は1986年4月に高校入学。

5月で16歳になり、高1の夏休みに初投稿作を執筆します。
それを『ジャンプ』の月例賞(第19回ホップ☆ステップ賞)に投稿。

『週刊少年ジャンプ』1986年48号(同じ佳作に有賀照人先生が入っています)

すぐに佳作に入るのが、さすが和月先生でした。
この受賞で、『ジャンプ』の編集者・佐々木ひさしさんが担当につきます。

※当時、佐々木さんは入社2年目の新人編集。『ポドマック』を最初に読んだ感想は、こんな感じだったそうです。

「その圧倒的なストーリー性に驚かされました。高校1年生が描いたマンガに、大の大人が本気で泣かされたんですから」

『ジャンプ流 vol.12』

また、この時期、月例賞の募集ページに受賞者からのアドバイスのスペースがあったので、和月先生も登場しています。

週刊少年ジャンプ 1987年6号

この頃の和月作品には「ロボットもの」が多くて……。

「ファーストガンダムの世代なんですよね」
「ロボットに対するあこがれが強くあって…。ロボットマンガばかり描いていました

『ジャンプ流 vol.12』のインタビュー

あと、うすね正俊先生の影響も入っているっぽいです。

うすね正俊先生の『キラーBOY』(1984年43号)。キラー完了ーっ!!

 

余談

和月先生が第19回HS賞で16歳で佳作を取った、3か月後。
第22回HS賞で、15歳で佳作を取ったのが渡辺航先生でした。

ジャンプ1987年9号

のちの『弱虫ペダル』の作者。
和月先生が5月生まれ、渡辺先生が3月生まれで、同学年でした。

『るろうに剣心』が1994年~、『弱虫ペダル』が2008年~で、作者が同学年とか言われると感覚バグります。

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