前置き
先日、こういうツイートをしました。
この件について、もう少し詳しく語らせてください。
(基本的には上記のツイートと同じ内容で、お気持ち表明を長々するだけの記事です。ごめんなさい)
歴史のおさらい
ジャンプ創刊
『少年ジャンプ』の創刊号は、1968年 7月11日に発売しました。
創刊準備では、手塚治虫先生、横山光輝先生、ちばてつや先生、白土三平先生、さいとうたかを先生……といった方々に、スケジュールの事情などで依頼を受けてもらえませんでした。
そうして結局、創刊号から連載したのは、中堅クラス(梅本さちお先生・貝塚ひろし先生)の2人だけ。
「目玉になる漫画がなくて、中堅と新人の寄せ集め」の新雑誌でした。
ハレンチ旋風
そして、1968年12月。
永井豪先生の『ハレンチ学園』、本宮ひろ志先生の『男一匹ガキ大将』という新人の連載が同時に始まって……。
この2作品を看板に『ジャンプ』は伸びていきます。
1969年6月の「学校読書調査」では、創刊1年足らずの『ジャンプ』が、すでに週刊3誌&学習2誌に次ぐあたりまで来ています。
それから、1969年7月に発売された14号~15号が、有名な「スカートまくり」のエピソードでした。
と、創刊1年で『ジャンプ』を成功させた最大の立役者は『ハレンチ学園』でした。
『少年ジャンプ』は、スカートをまくりながら『少年キング』をまくったのです。
エロと暴力
1969年9月末からは、『男一匹ガキ大将』のアニメ放送が開始。
そこから『ガキ大将』も『ハレンチ学園』に劣らない戦力となります。
1970年6月の「学校読書調査」では、トップの『少年マガジン』に肉薄。
1968年に創刊して、1970年には少年誌のナンバー2という大成功は、『ハレンチ』と『ガキ大将』によるものでした。
8月11日発売の36号では、「100万部突破」を謳っていました。
※西村本と後藤本では、ジャンプが100万部に達したのは1970年36号ではなく、1971年3・4号だとされています。