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ジャンプが1968年の創刊号で募集した「第1回新人漫画賞」の入賞者たちが割と濃い


おさらい

『週刊少年ジャンプ』は、1968年に創刊しました。

当初、編集長はきら星のごとく人気漫画家を集めた雑誌を構想をしていたそうですが……。

「漫画家の手ごたえは鈍かった。ちばてつやはもちろん駄目。手塚、横山はスケジュール的に入り込む余地なし。さいとうたかをは(以下略)」

西村繁男『さらば、わが青春の「少年ジャンプ」』

「先行週刊3誌の人気漫画家はすべて取り込むつもりだったが、ガードが予想以上に固く、一流漫画家、人気漫画家の起用が困難を極めていた
「漫画家が執筆オーケーの返事をしても、競合誌編集部の横槍でつぶされた

後藤広喜『「少年ジャンプ」黄金のキセキ』

「小学館で連載する漫画家に対しては『絶対ジャンプに執筆するな!』とプレッシャーをかけていた」
「小学館の先輩が突然、『小学館の子会社の分際で、身の程を知れ!』と言われりゃ、ボクだって頭に血がのぼる」
「ボクは『親会社風を吹かせらす』卑しい人間を許さないと何度も誓った」

角南 攻『メタクソ編集王』

……という感じで、結局、『少年ジャンプ』は新人で勝負する新しい雑誌という方向に。

創刊号から連載したのは梅本さちお先生と貝塚ひろし先生の2人だけで、初っ端から「新人漫画大募集!」をしたのでした。

『少年ジャンプ』1968年1号(復刻版)

当時の少年誌では、そこまで「新人賞」による発掘に力を入れていなかったので、これが『ジャンプ』の特色とされます。

※まんが専門誌『COM』で月例賞をやっていたり、講談社の「少年少女新人漫画募集」で入選した池内誠一先生が『少年マガジン』の別冊でデビューしたり……といったことはあります。

その後、この「新人漫画賞」の回数を重ねながら、結果が出るのが早い「月例ヤングジャンプ賞」も併設。

『週刊少年ジャンプ』1970年30号

1971年には、この「新人漫画賞」が「手塚賞」に変わりました。

『週刊少年ジャンプ』1971年7号

※「ヤングジャンプ賞」の方は、1979年に『ヤングジャンプ』を創刊する際に、ややこしいので「フレッシュジャンプ賞」に変更されます。(現在は「ジャンプ新世界漫画賞」に)

……という感じで、色々と歴史のある『ジャンプ』の新人賞。

今日は、その始まりとなった記念すべき第1回目のことを語らせてください。

 

(蛇足)

Wikipediaの「週刊少年ジャンプの新人漫画賞」の項には、「新人漫画賞」が月例賞だったように書かれています。

よく分かりませんが、後藤編集のインタビュー(URL)の

「創刊時から新人の漫画作品を募集する取り組みを行ってきました。それが新人漫画賞で、のちに『手塚・赤塚2大漫画賞』や『月例新人漫画賞』に繋がっていきます」

という部分からの誤解っぽいです。

 

第1回新人漫画賞

応募要項

創刊号は1968年の7月11日に発売されて、「第1回新人漫画募集」の締切は8月31日。
応募期間は短く、一刻も早く戦力が欲しいという編集部の切実な思いが感じられます。

応募資格は「どなたでもよい」、内容は「なんでもよい」。
賞金は10万円でした。(1968年の10万は現在の37万円くらい)

※消費者物価指数参考で。同時期の「講談社少年漫画新人募集」とかも同じ金額だったので、当時の相場と思われます。

なお、1971年から「手塚賞」になった際に、賞金50万円(現在の155万円)と増額。
いまの手塚賞は賞金200万円(現在の200万円)となっています。

結果発表

1968年12月に、その結果が発表。

『少年ジャンプ』1969年1号

できたての雑誌で応募期間も短いのに、いきなり1200編もの応募があったそうです。
(西村本では、「ほかにそういう賞がなかったからか、予想以上の原稿が送られてきた」とのこと)

入選は出ませんでしたが、佳作が4人。
池沢さとし先生、神江里見先生、島田憲司先生、あだちとつむ先生でした。

 

池沢さとし先生

池沢さとし先生は、『怪童のひびき』で佳作。

これが1969年2号に掲載されて、1969年23号から『ハロー! ジュリー』を初連載。
それから、話せば長くなるのですが……。

『週刊少年ジャンプ』1970年8号(9号の予告)

・1970年~1973年に連載したエロ少年漫画『あらし! 三匹』
1975年~1979年に連載したスポーツカー漫画『サーキットの狼』

この2作は、間違いなく70年代の『ジャンプ』を支えた作品でした。

(あと、1973年の『鬼っ子』については、以前ご紹介しました)

『サーキットの狼』のあとは、新境地を開拓しようとした野球漫画『ダイヤモンドスター』が18週で打ち切り。

『週刊少年ジャンプ』1980年19号

※主人公の名前が上等じょうとう まさるで、彼が使う魔球は「ルイ・ヴィトン投げ」でした。

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