「相変わらず多い見逃しの三振」の思い出(脇村春夫メモリアル)
今月中にあと5回更新予定なのですが、ちょっと壊れています。大変申し訳ございません。
以下の文章は、2004年9月に『少年愛の美学』に書いたコラムの再掲載になります。
(まず2004年に書いた文章を載せて、その後に少し補足……という形です)
高野連の牧野おじいちゃん
私が高校野球で一番気にしているのは、高野連の会長による閉会式のコメントです。
前会長の牧野おじいちゃんは、90歳を過ぎても会長職にしがみつき続けたサイボーグのような人でした。
ただし、お年のせいか、しょっちゅう高校の名前を間違えてしまうのが玉にキズ。
優勝校の名前すらちゃんと言えないときもあって、見てる方がドキドキでした。
そんな牧野おじいちゃんも、92歳で勇退。
70歳の脇村おじいちゃんが後を継ぎました。
……92歳から70歳にバトンタッチして「勇退」と言われたあたり、高野連というのはスゴい団体です。
脇村おじいちゃん
ともあれ、2004年現在、72歳の脇村おじいちゃん。
前会長より20歳以上も若返っただけあって、学校名もあまり間違えないおりこうさんです。
しかし、2004年の開会式では、実際には工業高校が2校出場しているのに、「工業高校が1校しか出ていない」と嘆いていました。
また、「近畿勢と九州勢はふるいませんでした」などと、謎に地域単位で評価して観客をシラけさせたりもします。
「本大会のチームの特色として挙げられるのは、選手宣誓をした富山商業の宮田選手をはじめとして、8校のキャプテンが控えの選手としてベンチをしっかり守っていたことです」
というコメントなどは、もう何が言いたいのかよく分かりませんでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?