『100日後に死ぬワニ』最終回を読んで
3月20日、『100日後に死ぬワニ』が最終回を迎えました。
最後の1日だけで、作者のフォロワー数は50万人ほど増加。
24日現在、220万フォロワー突破。
正直、これほど終盤になるほど伸びるタイプだとは思いませんでした。
実は、総理のフォロワーも、この1か月で5万6000人くらい増えているのですが、ワニの伸びが急激すぎて、よく分からなくなっています。
前置き
最終回が更新される前、私は、「100日後に死ぬワニを読むと、某新興宗教を思い出す」というノートに、こう書きました。
この漫画のメインは、ワニと同じ100日間を過ごす体験。
結末は最初から決まっており、ある意味、最終回でワニがどうなるかは特に重要ではないと思います。
実際、この作品は基本構造を作った時点で勝利しており、基本的には、どんな最終回でも良さそうです。
最終回を読んだいまも、この考えは変わっておりません。
とはいえ、
結末は以前から決めているそうですが、150万人以上の期待を背負った作者が最後に出す答えというのは、やはり気になります。
というのも事実。
「ワニくんがどんな死を迎えるのか」という好奇心がなかったと言えば、ウソになります。
という感じで、いちおう、私が最終回を読んだ感想みたいなことを、書かせていただきます。
本当に個人的な感想になるので、ご注意ください。
無常
さて。
私見では、『100日後に死ぬワニ』は、「無常」を表現することに特化した構造を持つ作品です。
ワニの死期を知っている読者が、そんなことを知らずに日常を過ごすワニの姿を見守る中で、
「死ぬ日は、予告なく突然やってくる」
「毎日は、死ぬ日までのカウントダウン」
「それはワニだけの話ではなく、読者自身も同じ」
といったことを感じさせられます。
こういうのが「無常」です。
「命は儚い」という話ですね。
それを受けて、どう思うのかは読者次第ですが……。
一般的には、「だからこそ、この貴重な1日1日を、大切に生きていこう」といった受け止め方をされるようです。
「命の価値」を再認識させられる、みたいな感じですね。
インタビュー等の発言を聞く限り、少なくとも、作者はそういう意図で作っていたみたいです。
私見
で、ここから書くことは、あまり共感してもらえない気がするのですけど……。
『100日後に死ぬワニ』を、「無常」を表現する作品として貫くなら、ワニくんは、貴重な最後の100日を無為に過ごすキャラとして描かれる方が、構造としてはスッキリする気がします。
というのも、この作品では、「ワニ自身は自分の死期を知らない」ということがポイントになっているからです。
自らの死を知らず、これが人生最後の100日だと理解していないワニが、その貴重な日々を、ダラダラと過ごしてしまう……。
そんなワニを反面教師として、私たちは、1日1日の価値を意識して生きましょう、てな方向性です。
まあ、わかりやすいですよね。
逆に、自分の死期を知っているパターンならば、「余命を宣告された者が残された時間を無駄にせず、悔いのないように生きようとする姿に感動し、自分の生き方を考えさせられる」みたいな方向性のストーリーがわかりやすいです。
『加奈~いもうと~』とか『僕の初恋をキミに捧ぐ』とかを、そういう風に受け止めたファンも多いのではないかと存じます。
実際
とはいえ、この作品、ワニくんを反面教師として描いているわけではないと思われます。
確かに、ワニは序盤、「今日な~んもしなかったな~」と寝て食うだけの1日を過ごしたり、目覚まし時計を止めて2度寝したり、貴重な時間をダラダラと過ごします。
しかし、最初は「したい事」が何もなかったワニも、プロゲーマーを目指すことを思い立って大会に参加したり、勇気を出して好きな子をデートに誘ったり、それなりのチャレンジをしていきます。
完全に時間を浪費しているダメなワニというほどでもなく。
1秒たりとも無駄にしないように命を燃やし尽くすというほどでもなく。
ニュートラルな日常という印象です。
死に対する感覚も、生に対する感覚も、日本人の平均レベルくらい。
そんな普通の日常に、「死まであと○日」と付けたものを見せて、あなたはどう感じますか? くらいの見せ方だと思いました。
作者も、ワニの見せ方を計算するというよりは、亡くなった自分の友達のことを反映させながら描いているようなフシがあります。
反応
それで、ツイッターの感想などを見ると……。
「ワニくんは最後まで彼らしく生きた」
「ワニくん、がんばって生きたね…」
「くだらない1日でも、生きた証なんだね」
などなど。
感想は人それぞれですが、ワニくんの生には、何らかの「価値」があったという受け止め方が主流のように思いました。
朝日新聞の記事では、
ワニが亡くなるとあらかじめ分かっていることで、なにげない日常が光って見える、というコンセプトが非常に優れていた
というまとめ方をされています。
死を前面に押し出して「人生は無常だ」と突きつけてくる暗い話ではなく、「人生は無常だからこそ、そのことを意識すると輝いて見える」という、明るい話らしいのですね。
朝日新聞の記事では、「新型コロナウイルスへの不安の広がり」の中、ワニの物語は、「ウイルスを少し忘れて気持ちを和らげてくれるコンテンツ」として反響を呼んだと分析されています。
マジですか…。
みんな、100日後に死ぬ運命のワニの姿を見ながら、自分の死を考えて暗くなるどころか、生きる元気をもらっていたのですね…。
整理
てことで、私が宗教脳すぎるのでした。
この漫画は、「無常」「命の儚さ」を表現するという基本構造が強すぎて、細部のストーリーで「ワニがどう生きたか」を見せるのは、オマケみたいなもの……だと私は思っていたのですけれど。
世間では、ワニの姿そのものから「人生の素晴らしさ」「命の価値」を見出すという読み方をされているらしいのですね。
私の考え
という前置きを経て、ようやく最終回の話です。
「100日後に死ぬワニを読むと、某新興宗教を思い出す」というノートに、私は、こんな風に書いたのですが……。
構造からすると、やはり、ワニが唐突な死を迎える姿を、普通に描写することで、この作品は綺麗に完成するという気はします。
そういう意味では、交通事故や心臓発作など、ごくありふれた理由で突然死するのが、妥当に感じます。
(私たちに起こる可能性が高いという点では心臓系が良いと思いますが、あまり漫画映えしないので、その可能性は低そうです)
これは、『100日後に死ぬワニ』の基本構造が「無常」を表現するものだという前提からの発言ですね。
「死は、予告なく突然やってくる」
という表現をしたい場合は、ワニの死は、何の伏線もなく、理不尽に、唐突に起こるべきです。
また、やり残したことは多く、志半ばで、成し遂げられずに終わってしまう方が、「無常」が引き立ちます。
そういうケースの方が、死が突然やって来たという感じが出るからです。
世間の考え
ということで、こういうのは、私からは出てこない発想です。
私の発想だと、ワニの死は「無常」なものであるほど良く、英雄的な死をするよりも、無意味な死に方をする方が綺麗に完成する……という感じになります。
ああいう性格のワニくんだから、その人物にふさわしい死に方はこうだろう……みたいな考え方は、「無常」の表現という観点からは、しっくりきません。
むしろ、ふさわしい死に方なんぞできないという方が、「無常」っぽい感じがします。
でも。
実際のところ、『100日後に死ぬワニ』は、基本構造や序盤のストーリーは「命の儚さ」の表現に寄っていましたが、後半のストーリーは「命の価値」の表現に寄っているのですよね。
最終回
てことで、実際の最終回。
ハッキリと描写されていませんが、ワニは、ヒヨコを守って交通事故にあったようです。
表現
もしも、「命の儚さ」の表現に寄せるなら……。
最終回だけ特別に13コマといったことはせず、いつも通りの4コマが良かったと思います。
死は特別なものではなく、日常のままにやって来るからです。
ワニがラーメンを食べる姿でも描くように、いつも通りのテンションで、淡々とワニが4コマで事故死する。
それが「無常」っぽいです。
しかし、実際の作品は、「命の価値」の表現に寄せられています。
ワニはそのキャラクター性にふさわしい形で、意味のある死に方をします。
そして、「散るからこそ美しい命の価値」でも表しているかのように、桜が描かれて終わります。
そんなこんなで
『100日後に死ぬワニ』には、おぼろげなフェーズ移行があったのかな、と思いました。
最初にワニの死を出すことで「命の儚さ」を強調した後、
後半にワニの生を見せることで「命の価値」を表現する、
……みたいな。
(もちろん、それほどハッキリ線引きできるものではなくて、漠然と)
ワニが「命の儚さ」を表現するために無常に死ぬことを望んでいたのは、私だけ。
ワニには無駄死にして欲しくない、たとえば誰かのために死ぬことで「命の価値」を感じさせてほしい……といった感性が、一般的だったらしいです。
たぶん、多くの読者はそう望んでいて、作者もそう表現しました。
もちろん、ワニが死ぬこと自体が「無常」で、この作品の基本構造として、大前提に「無常」があることに変わりはありません。
ただ、キャラクターやストーリーまで「命の儚さ」に振ることはしなかった……という感じで。
キャラクターやストーリーという要素は、ワニから「命の価値」を感じさせる方向に作られていました。
ワニが助けたヒヨコがニワトリに育ち、つながれていく命。
仲間たちの中にも、何らかの形で残っていくだろうワニの生。
儚くも美しい桜=命。
みたいな。
最終回を受けた一般的な反応は、「いつ死ぬか分からないから、貴重な1日1日を大切に生きていこう」という方向よりも……。
「立派に生きたワニくん、感動をありがとう。泣いた」
という方向に寄ったみたいです。
ちなみに、朝日新聞の記事でも、
100日目を迎えた20日夜に完結し、「マジ泣けた」「最後まで素敵なワニでした。ありがとう」などと感想が飛び交った
……と、「代表的な感想」を紹介しています。
そんなこんなで、私の宗教脳としては、味付けにちょっと不満があるのですが、おそらく、ちゃんと大衆の求めたものが出されており、今後の商業展開につなげるという意味でも、良い最終回だったのだろうと思います。
その意味では、ラストの桜とか、商業展開映えして良いですね。映画のラストにピッタリですし、プロモーションの映像や画像も作りやすそうです。
1年後・2年後に、桜の季節に死んだワニくんのことを思い出してもらいやすいという効果も期待できます。
100ワニ追悼POPupSHOP
もっとも、商業展開については、漫画の内容とは全然関係ないところで、大失敗があったのですけど。
特に、これ。
正気とは思えません。
「100ワニ追悼POPupSHOP」。
結婚式の案内状ですか。
追悼って、亡くなった人の生前をしのんで、悲しみにひたることですよ。
元気ですね、ワニ。
LoFtのサイトを見ると、
在りし日のワニを偲び、たくさんのグッズを取り揃えました。
サイコパスかな?
LoFtの文化では、葬式で物販があるのですか?
てことで、ここから先は、最終回の後の「炎上」の件について、私が思ったことを少しだけ書いてみようと思います。
(以下、まったく中身のない既知の情報だけの文章です。『ワニ』の最終回について話して、この件にまったく触れないのも不自然かと思って、がんばってみたのですが、面白いことは何も書けず……。読む価値のない文章になってしまいました)
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