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冨樫義博クロニクルの『てんで性悪キューピッド』について
※この記事は9月9日に更新しました。マガジンとしては「8月分の記事」のところ、更新が遅れてしまっており、大変申し訳ございません。
冨樫先生クロニクル
2022年10月~2023年2月に、『冨樫義博クロニクル』という本が発売されました。
![](https://assets.st-note.com/img/1693948397343-QgBuueRahZ.png)
たぶん、「冨樫義博展」に関連する展開のひとつかと存じます。
実物はこんな感じで、全8巻のコンビニ本です。
![](https://assets.st-note.com/img/1694053026588-SltzlSiWNK.png)
単なる再録本なので、特に読む意味はありません。
ただ、冨樫先生の過去の連載4作品からの再録ということで、1989年の初連載『てんで性悪キューピッド』が表紙の本が令和のコンビニに並んだのが、個人的には嬉しかったです。
![](https://assets.st-note.com/img/1693948872521-agAZ2TTH3g.png)
この『冨樫義博クロニクル』5巻の表紙のイラストは、1989年に『ジャンプ』の表紙を飾ったものでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1693949073991-kM43cceVda.png)
(「不思議なパイの魅力……」というアオリは、パイとパイを掛けていると思われます)
※この表紙にまつわる逸話
20年ほど前に、『烈火の炎』の安西信行先生が、この表紙の話をしたことがありました。
![](https://assets.st-note.com/img/1694053804108-5ikOSlbU3k.png)
と、安西先生は『てんで性悪キューピッド』が好きで、表紙になった号を実家に保管していたのを、ばあちゃんが捨てちゃったそうです。
※この号の発売時、安西先生は17歳の高校2年生でした。
そんな1980年代のイラストが、『冨樫義博クロニクル』の表紙として帰ってきて、2022年のコンビニに並んだという次第です。
『てんで性悪キューピッド』前後の経緯
掘り下げると大変なことになるので、今回は簡単に……。
1986年10月
あの冨樫義博先生も、最初は何の実績もない新人でした。
まず、1986年10月期の「ホップ☆ステップ賞」で最終候補作。
![](https://assets.st-note.com/img/1694081718175-GKUYw7vrg4.png)
※このときは「鳥留夜母屋」というペンネームでした。
1987年2月
それから、1987年2月期に『ジュラのミヅキ』で佳作。
![](https://assets.st-note.com/img/1694084479080-fEBSNKd9lO.png)
※このときは「冨樫」ではなく、ウ冠の「富樫」の表記でした。
当時の『ジュラのミヅキ』の評価は、「設定を解説だけで見せている点がつらい」とのこと。
![](https://assets.st-note.com/img/1694086255735-HaT7WYPU2L.png)
![](https://assets.st-note.com/img/1694086234814-9ncGKwg3xd.png)
結果的には、のちにこういう方向で成功するのですが……。
「オカルト」はずっと題材にしていくのですけど、この後しばらく『ジュラのミヅキ』とはやや別路線で連載を目指す感じになりました。
1987年9月
1987年9月30日締切の「第34回手塚賞」では、『ぶっとびストレート』で準入選。
![](https://assets.st-note.com/img/1694086743114-AifDQJuu30.png)
※これ以降は、ワ冠の「冨樫」です。
※この選考が1987年11月で、発表が12月。受賞時のパーティーで手塚治虫先生に会ったそうです。(手塚先生は1989年2月に永眠)
この後、1988年~1989年春にかけて、『ジャンプ』の増刊号に『とんだバースディプレゼント』『オカルト探偵団』『HORROR ANGEL』といった読切が掲載されます。
![](https://assets.st-note.com/img/1694088117562-6YaPSJTIWZ.png)
それらが好評で、『週刊少年ジャンプ』本誌の1989年20号にも読切が載りました。(『狼なんて怖くない!!』というラブコメ)
1989年
そして、1989年32号から初連載『てんで性悪キューピッド』がスタートします。
![](https://assets.st-note.com/img/1694091875477-66lJko02nb.png)
(ラブコメの評判が良くて美少女路線になったのか、男子中学生が美少女と同居するエロ少年漫画でした)
ジャンプへの初投稿から連載デビューまでは、
・1986年10月~1987年:新人賞で入賞
・1988年~1989年春:増刊で読切
・1989年4月:本誌で読切
・1989年7月:本誌で初連載
と、かなり順調なパターンです。
(和月伸宏先生は、冨樫先生より1か月早い1986年9月のHS賞で佳作を取りましたが、増刊の掲載デビューは1992年、初連載は1994年でした)
1990年以降
しかし、初連載『てんで性悪キューピッド』は32週で打ち切り。
![](https://assets.st-note.com/img/1694097060415-n9g4tXUxNY.png)
その9か月ほど後に、二度目の連載『幽遊白書』で仕切り直しとなります。
・1990年2月:『てんで性悪キューピッド』終了
・1990年12月:『幽遊白書』連載開始
『幽遊白書』は最初、「いい話」系のハートフルな漫画という方向性でしたが、人気は微妙。
10週打ち切りは免れたものの、長くは続かなさそうでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1694090467517-oldEjQtDNQ.png)
と、12話~19話あたりは、だいたい最後尾付近に載っていました。
しかし、18話(1991年17号)から主人公が「霊界探偵」になったところ、その新展開で人気が急上昇します。
![](https://assets.st-note.com/img/1694090853076-R4vU4Yw87j.png)
もしも新展開で人気が上がっていなければ、30週前後で打ち切られていたと思います。
(『幽遊白書』が全4巻の打ち切り漫画になっていた世界線)
※2018年のジャンプ展のときのインタビューなどで、いい話からバトルに移行するのは連載開始前から決めていたと語られており、予定通りではあったらしいです。
ともあれ、「霊丸」という必殺技や、飛影・蔵馬などの人気キャラの登場によって、『幽遊白書』は大ヒット。
それから『レベルE』『ハンター×ハンター』と続いて、現在に至り……。
結果的には、冨樫先生の経歴で唯一うまくいかなかった作品が『てんで性悪キューピッド』という感じになりました。
「ウ冠の富樫さん」の件
冨樫義博先生のペンネームは、最初は「鳥留夜母屋」。
『ジュラのミヅキ』のときは、ウ冠の「富樫」表記でした。
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しかし、『ぶっとびストレート』の手塚賞以降は、ワ冠の「冨樫」で通しています。
『てんで性悪キューピッド』のときも、ペンネームは「冨樫」でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1694173529754-DGJ99Tr4HZ.png)
ただ、2010年の『ヘタッピマンガ研究所R』の「冨樫先生に突撃取材!!」という回で、こういうくだりがありました。
![](https://assets.st-note.com/img/1694174190888-gsH8U6xupP.png)
これを読んで、
「『てんで性悪キューピッド』で打ちのめされて、ペンネームを『富』から『冨』に変えた」
という解釈をした読者も多いらしいです。
実際には『てん性』より前から「冨樫」で、本当にそのタイミングでペンネームを変えたという話ではありません。
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