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70~80年代の『ジャンプ』関連の思い出話とか(3本立て)

この記事は4月28日深夜に更新しました。いまだに「3月分の更新」をしていて、本当に申し訳ありません。(不測の事態が起きたら破綻するような状態を続けてしまっており、言い訳のしようもございません…)

今回は、「少年ジャンプに関する話題」というフワッとしたくくりで、短めの話の詰め合わせという形で恐れ入ります。


前置き

あだち充先生の漫画でいくつか見かけた、馬跳びの扉絵。

『中学一年コース』1975年6月号
『週刊少女コミック』1978年42号

こういうのがちょっと好きで、ほかに何があるかな……と思ったら、そういえば『はだしのゲン』にもありましたね。

『週刊少年ジャンプ』1974年3号

 

中沢啓治先生の平和シリーズ

『はだしのゲン』とジャンプ

『はだしのゲン』が『週刊少年ジャンプ』の連載だったというのは、雑学としては有名……なのでしょうか?

その頃の『ジャンプ』連載陣(1973年47号)

全10巻の単行本でいうと、4巻ラストまでが『ジャンプ』での連載でした。

原爆投下や政二さんなど、多くのトラウマシーンが『ジャンプ』で連載していた部分です。

『週刊少年ジャンプ』1973年42号

連載が1973年~1974年なので、リアルタイムの世代だと「現在60歳のひとが10歳の頃に読んだ」といった感じ。

もっと下の世代だと、学校や図書館に置かれている汐文社の単行本で読んだ人が多そうで、元は『ジャンプ』だったと知る機会は、あまりなさそうです。

※ジャンプから単行本は発売されず、『ジャンプ』誌上の「◯周年の特集」とかでも、あまり強調されてきませんでした。

 

中沢先生の平和マンガ

1973年から『はだしのゲン』が連載する前にも、中沢啓治先生の漫画は、何度も『ジャンプ』に掲載されていました。

たとえば、1972年31号の『出発たびだちの歌』。

この、まだ生きているのに助け出せなくて火が回ってきて焼け死ぬ展開は『はだしのゲン』でもトラウマでした。

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