かつて「ウルトラマンの墓」が作られたこと
シン・ウルトラマン
シン・ウルトラマンのデザインは、「成田亨氏の目指した本来の姿を描く」「成田氏が望んでいたテイストの再現」を目指したそうです。
2002年に亡くなった成田亨さんが、もしも『シン・ウルトラマン』を見たら何と仰るのか、私には分かりません。
ただ、先日、『シン・ウルトラマン』のLINEスタンプが発売されたのですが……。
なんとなく、これを見たら成田亨さんが怒りそうな気はしました。
って、私の実際はそんなことないのかも知れませんが、今日は、その辺のことを少し書いてみます。
成田亨さんのこと
成田亨さんは、美術家・彫刻家です。
『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の特撮美術監督を務めて、多くの怪獣などをデザインしたことで知られています。
……という感じに、コミカライズ版でも、文芸室長の金城哲夫さん、漫画担当の一峰大二さんと並んで、「怪獣デザイン」としてクレジットされていました。
余談:怪獣デザインに関する有名な話とか
たとえば、ウルトラ怪獣でトップクラスの人気を誇るバルタン星人も、成田亨さんのデザインでした。
ただ、バルタン星人については、成田さんご本人は気に入っていないそうです。
(成田さんが気に入っているデザインは、ガラモン、ケムール人、ジャミラなどだそうです)
ちなみに、バルタン星人のコンセプトとか諸々は、だいたい飯島敏宏さんが作ったのですが、そちらの著書を読むと……。
と、飯島さんとしては、バルタン星人にセミ人間を使い回された件は、成田亨さんに一杯食わされた思い出になっているらしいです。
(一方、成田さん側は、バルタン回監督の飯島さんからセミ人間にハサミを付けてくれと注文されたという認識になってるっぽいです)
そんなこんなで、『ウルトラマン』関係では、資料を見ても認識が微妙に噛み合わないようなことも多いです。
成田亨さんの怒り
90年代半ばまでの『ウルトラマン』の流れ
ざっと振り返ると、1966年~1968年に『ウルトラマン』『ウルトラセブン』が放送。
1971年に『帰ってきたウルトラマン』が始まって、『エース』『タロウ』『レオ』と1975年までシリーズが続きました。
それから少し間隔があいて、1979年~1980年。
アニメブームに乗じたウルトラマンのアニメ版『ザ☆ウルトラマン』、金八先生のヒットに乗じたウルトラマン+教師ドラマ『ウルトラマン80』が、どちらも微妙な感じで終了。
その後、1996年の『ティガ』まで、15年ほど「ウルトラマンがテレビから消えた」ような時期になります。
1992年「真実を語る」
その「円谷皐時代」の終わり近く、1992年の『SPA!』に、成田亨さんが真実を語るという記事が掲載されました。
成田さん曰く、
それから、ウルトラマンのバリエーションが増えていったことについても、次のように仰っていました。
1993年の「怒りの鎮魂歌」
そして、成田亨さんは、1993年に「ウルトラマンのお墓」を制作。
墓標には、次のような「鎮魂歌」が刻まれていました。
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